『逃げ上手の若君』ゆかりの地7 刑場だった龍口 龍口寺と龍口明神社(元宮)

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『週刊少年ジャンプ』に連載が始まった『逃げ上手の若君』の舞台の1つは、鎌倉です。鎌倉時代末期から南北朝時代を描く、異色の時代設定。

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湘南モノレール江ノ島線で龍口へ!

主人公の若君(北条時行 ほうじょうときゆき)は、「龍口(たつのくち)で処刑されたとも(享年28歳)、伊勢国で生き延びたとも言われています。

その龍口は、鎌倉市ではなく、藤沢市に位置していました。

龍口を訪れようと思ったのは、たまたま大船にいたとき。

江ノ島へ向かう湘南モノレール江ノ島線が、なかなか面白いと聞き、ちょうど大船からの終着駅・湘南江の島駅近隣に、「龍口」という名のつく寺社がいくつかあると知ったからでした。

関西にもモノレールはもちろんありますが、湘南モノレール江ノ島線は、珍しい懸垂式モノレール。

斜面を登ったりトンネルをくぐったりと、ちょっとしたジェットコースター気分でした。

地上5階建ての湘南江の島駅には、ルーフテラスもあります。

天気が悪くて残念! でも海は見えました。

刑場跡地に寺社&商店街!

龍口は鎌倉の刑場として割とよく知られています。文永の役(第1回目のモンゴル来襲)の翌年日本に来た元の使者・杜世忠らが処刑されていますし、日蓮もここで処刑されそうになったことがありました。

驚いたことに、湘南江の島駅近くに、その名も「片瀬龍の口商店街」がありました。

刑場の名前なのに、商店街の名前の一部になっているのですね!

というのも、ここは寺社参詣の人通りが期待できる場所。

幕府や他の諸宗を批判した罪により、日蓮がここで斬首されそうになったとき、江ノ島方面より光の玉がやってきて、光の衝撃で振り下ろした刀が折れ、首を刎ねることができませんでした。

この奇跡は日蓮宗では、「龍ノ口法難」と呼ばれています。

そして刑場跡地には、室町時代になって日蓮の弟子が寺を建立。その名も龍口寺です。

もちろん日蓮宗です。

この本堂には、処刑される日蓮が座らされたという敷皮石(座布団上の石に皮を敷いたもの)が安置されているのだとか。

龍口寺建立以前から、日蓮宗徒によって龍口刑場の地は神聖視され、護持のため腰越の六寺が順次建立されました。

今でも龍ノ口法難を記念して、毎年9月11日〜13日に龍口法難会という大法要が営まれ、参拝者には難除け牡丹餅が振舞われるそうです。

ちなみに日蓮は、他の仏教に対しては攻撃的でしたが、日本の神々に対しては「法華経や法華経信者を守っている」として、篤く信仰していました。

敷地内に稲荷神の祠があったのもそのためかな?

根性がなくて登りませんでしたが、この階段の上には、七面大明神(山梨県の七面山山頂に祀られている神)という、法華経を守護する女神も祀られているそうです。

鎌倉で一番古い神社があった!

鎌倉の神社というと、鶴岡八幡宮がすぐに思い浮かびます。

ところが実は、鎌倉最古の寺院が、龍口寺の隣にあったのです。

それが龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)の元宮。

グーグルマップで「龍口明神社」と検索すると、多分こちらの、腰越の神社がでてくるのではないでしょうか。

元々はこの場所に、海神の娘で神武天皇を生んだ玉依姫(たまよりひめ)や、深沢の湖に棲んでいて、津村(鎌倉市腰越一帯)で悪逆非道の行為をしていた五頭竜(ごずりゅう)を祀る神社があったのです。

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改心して山となった五頭竜の口にあたる場所に、津村の村人たちが社を築いて白鬚明神とし、村の鎮守としたのがこの神社の発祥。

でもこの神社よりも後にできた鎌倉幕府が、この辺りを刑場にしたため、神社の氏子たちは祟りを恐れ、長年移転を望んでいたとか。

1978年に、竜の胴体となる腰越(旧津村)に神社は移転し、ここは「元宮」となりました。

でも未だに江戸時代以来の伝統が続き、この元宮境内の中だけは、藤沢市ではなく鎌倉市の飛び地だそうです。

隣接する龍口寺は、所在地の名から「片瀬の龍口寺」と呼ばれていましたが、その片瀬村は藤沢市に編入され、津村は鎌倉市になりました。

この辺りは藤沢市と鎌倉市の境界なので、調べてみると2つの村で争いがあったということもわかり、とても興味深く感じられました。

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