2022年4月9日(土)出発のHISバスツアー
信州産あま~い3種のいちご狩り食べ放題♪嬉しい2名様1室でも
に参加しました。価格は2人分で43,960円と破格の安さ。
高遠城址でタカトオコヒガンザクラに酔いしれる
最初の目的地、長野県伊那市の高藤城址公園には13:15頃到着。さくら祭りの真っ最中です。
駐車場が順番待ちだったのですが、15分ほど待っている間にも、車窓から桜をじっくり堪能できたので特に不満はありませんでした。
高遠城址公園に咲く桜は、公園などでよく見られる桜(ソメイヨシノ)とはまた違う、タカトオコヒガンザクラという高遠独自の貴重な品種。
ソメイヨシノよりも、ピンクが濃いのがわかるでしょうか?
マメザクラまたはキ ンキマメザクラと、エドヒガンザクラの交配種の一系統で、1876(明治8)年、高遠城趾を公園とし て整備する際に旧藩士たちが桜馬場にあった桜を植樹したのが最初で、そ の後も同一種類の桜を植えたのが始まりだそうです。現在では約1,500本もの桜があるのだとか。
城址公園では約90分の自由散策時間があり、公園内をゆっくり見て回ることができました。関西ではもう散り始めている桜でしたが、この日の高遠城址公園は、五分~八分咲きらしく、まだまだ見応え十分でした。
特に「桜雲橋(おううんきょう)」からの眺め(上)や
絵島囲み屋敷へ向かう途中の桜のトンネル(上)や
三の丸周辺の桜(上)は素晴らしく、極楽もかくやと思うほどの美しさ。天気もいいし花も見頃だし、本当にいい時期に来ることができてよかったと思いました。これも善光寺如来のお導きかもしれません。なむなむ。
また信州らしく、雪のアルプス山脈(中央アルプスらしい)と桜を、同時に眺めることもできました。下の写真の中央、枝の間に顔をのぞかせている雪山がわかるでしょうか?
関西人としては、京都の桜や吉野の桜も大好きで、訪れたことも何度かあるのですが、高遠の桜も関西の桜には全く引けを取りません。「天下第一の桜」と言われるのもうなずけますね。
ちなみに、「花より団子」派の方のために、さくら祭りらしく屋台もたくさん出ています。
でもコロナ対策のため、飲食エリアは決められていました。食べ歩きやシート・簡易チェアも禁止され、いつもの花見風景とは少し違うようですね。仕方ないかな。
在りし日の高遠城をしのぶ
高遠城はもともと諏訪氏一族である高遠氏の居城でしたが、武田信玄に攻め落とされました。
信玄は高遠城を信濃への進出拠点とみなし、足軽大将だった山本勘助らに大規模な改築を命じます。
大河ドラマ『風林火山』の主人公にもなった山本勘助は、
「勘助曲輪(くるわ 城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称)」を設計しました。
今は駐車場になっているようですね。
信玄の死後、跡を継いだ武田勝頼が長篠の戦いで敗退すると、勝頼は異母弟の仁科盛信を高遠城主に任命。しかし織田信長の嫡男・信忠率いる織田軍に攻撃され、仁科盛信ら3,000の城兵は討ち死し高遠城は落城しました。
そういえば、あの『真田太平記』冒頭のシーンは、高遠城脱出のシーンでした。懐かしい。
江戸時代になると、高遠城は高遠藩の藩庁となりました。徳川秀忠の隠し子・保科正之(後の会津松平家初代)が、母とともに高遠城の南曲輪で過ごしたようです。
幼い保科正之やその母お静の方の像や顕彰碑が、歴史博物館近くにありました。
ちなみに、高遠城址公園の映像を最初に見たとき、「これお城の建物?」と間違えた高遠閣は、1936(昭和11)年に住民の集会所や観光客の休息所として建設されたもの。
とても存在感があり、気になっていたのですが、入場料が必要で(200円)しかも長蛇の列!
やむなく諦めて、外観の写真だけ撮影しました。ドローンからの動画映像だと、屋根の鮮やかな赤が印象的だったのですが、桜に隠れて全然屋根の色が見えませんね。
桜雲橋を渡った場所にある問屋門は江戸時代のものですが、城下町の問屋役所にあった門を移設したもの。
だから厳密には、高遠城とはあまり関係ないのですが、今では桜雲橋と共に、城址公園には欠かせない景観シンボルとなっているようです。
ここにもあった! お城と関係のある公立学校
三の丸付近には、大手門が残っています。
この門は、1984(昭和56)年まで、長野県立高遠高等学校の正門として使われていたと知りびっくり! 学校が城址公園内にあったのですね。
現在は建て替えられ、高校は三輪川の対岸に移転しましたが、今でも桜の時期になると、土日に限り校庭を駐車場として無料開放したり、生徒による琴の演奏を披露したりしているのだとか。
長野県立上田高等学校や、京都府宮津市立宮津小学校のことを思い出しました。
私が知らないだけで、全国にはこんな門を持つ(or持っていた)公立学校が、たくさんあるのかも知れませんね。
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