伊豆の国市は幕末史跡も充実! 明治日本の産業革命遺産・韮山の反射炉

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歴バスのる~らで、北条氏の史跡と韮山反射炉のアクセスが更に便利に!

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時北条義時や北条氏の面影を尋ねて、2021年3月27日(土)、桜の花咲く静岡県伊豆の国市を訪れました。

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しかし伊豆の国市には、他にも多くの史跡があります。その1つが、世界遺産にも登録された、韮山の反射炉

私達が訪れたときは、徒歩かレンタサイクルかタクシーくらいしか、北條寺からの交通手段がありませんでしたが(徒歩だと1時間近くかかるので、やむなくタクシーを使いました)

大河ドラマ館が伊豆の国市にできたおかげで、現在は「歴バスのる~ら」という便利なバスが走っています。

北条氏史跡エリアを走る路線と、反射炉エリアを走る2つのコースがあるので、うまく乗り継げば両方のエリアに行くことも可能です。昨年よりもずっと便利になっていますね!

ガイダンスセンターで韮山反射炉について学ぶ

幕末、伊豆韮山の代官(幕臣)江川太郎左衛門英龍(ひでたつ)は、列強の接近に強い危機感を持ちました。

外国船に対抗するには精度が高く飛距離の長い洋式砲が必要とされましたが、従来の日本の鋳造技術では良質の鉄がまだ生産できず、大型の洋式砲を鋳造することは困難でした。

良質の鉄を生産するためには、千数百度の高温で鉄を溶かす必要があります。

そのため西洋諸国では溶鉱炉の天井部分をドーム型にしてそこに炎や熱を「反射」させ、不純物を含む鉄に集中させることで、高温を実現しました。

このような炉が「反射炉」です(上は韮山反射炉パンフレットより)。なかなか幕府の理解が得られない中で、彼は黙々と反射炉の研究を進めていました。

1853年にペリーが来航したことにより、江戸幕府も、幕府直営の反射炉を建造することに決定。

こうして韮山の反射炉が建造され、国産の大砲が鋳造されることとなったのです。

江川太郎左衛門英龍が参考にしたオランダの書物。

韮山での反射炉建造は順調には進まず、彼の死後は子の英敏が跡を継いで1857年に完成させました。

ガイダンスセンターでは、韮山反射炉や江川太郎左衛門英龍について、わかりやすく展示されていました。

それにしても良質の鉄を作るためには、良質の鉄鉱石だけではなくて木炭や石炭、水力や労働力など、多くの資源が必要なんですね! 良質の耐火煉瓦も必要でした。

まさに日本近代化のための「国家事業」です!

保存修理工事中でも楽しめた

ところで私達が訪れたとき、韮山反射炉は保存修理工事中(令和2年10月1日~令和3年10月29日)でした。

せっかくの反射炉が、全然見えない! 在りし日の(工事前の)写真見て、想像するしかありません。

でも最近の流れなのか、工事中ならではのお楽しみがありました。

反射炉に使用されていたレンガに触ることができるし

すぐ近くで反射炉を見ることもできました。

いつもよりも少し違った楽しみ方ができたのかなと思っています。

全体像は見えなくても、じっくり見ていると、反射炉の構造がよくわかって面白いですね。

ちなみに、反射炉を特徴づける鉄フレーム(美しい模様になっています)は、1957(昭和32)年の保存工事で追加されたものだったのです。

売店の写真を見ていて、よくわかりました。

売店の名物は一風変わったパン!

韮山反射炉近くの売店に、面白いパンが売られていました。

キャッチコピーは「パン祖のパン」。どうやら江川太郎左衛門英龍は、日本で最初にパンを作った人物でもあるらしいです。

大砲ならぬ「カノンパン」も生産されているようですね!

いずれも、当時を思わせる乾パン(長持ちする兵糧としてパンは製造されていました)です。

スープや珈琲などに浸したり、細かく砕いたりして食べるとなかなか美味しいものでした。

武器製造から生まれた世界遺産だけれど、販売しているお土産はとても平和的でいいですね!

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