伊豆の国市の有名人といえば
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時北条義時や北条氏の面影を尋ねて、2021年3月27日(土)、桜の花咲く静岡県伊豆の国市を訪れました。
ただ、私達が訪れたときには大河ドラマ放映以前で、まだまだ北条氏の知名度は低かったのかも知れません。
北條寺から韮山の反射炉までタクシーに乗ると、反射炉に行くなら絶対江川邸にも行くようにと、運転手さんが強く勧めてくれました。
韮山反射炉建築を建議した、伊豆韮山代官・江川太郎左衛門英龍(坦庵)の邸宅跡です。
英龍が邸宅から反射炉まで通った道が、「坦庵公思索の道」として整備されているというので、2.7kmの道を歩いて韮山反射炉から江川邸へと向かいました。
韮山反射炉で、わかりやすい地図ももらい、説明もしてもらったので安心! 親切なスタッフに感謝です!
のどかな田園の中を通るので、とても良い気持ち。
春なので、花が多いのも嬉しい。
素朴な野の仏も風情があります。
楽しく2.7kmを歩くことができました。
重要文化財・江川邸の魅力
到着した江川邸。とにかく規模が大きいですね!
塀に囲まれた門前の広場は「枡形」です! お城の出入り口によく見られる四角い広場で、侵入した敵兵を四方八方から攻撃するキルゾーン(怖)。こんなところにもあったとは(怖)。
でも江川邸の場合は、代官が外出する際の人数を揃えるのに使われていました。江川英龍はここで農兵を訓練し、「気をつけ」「前へならえ」「右向け右」などの号令も、彼が親族に訳させて広めたのだとか。
そしてこれが表門! とても重厚です。格式ある江川家にふさわしいですね。ちなみに江川家は源氏一族で、鎌倉殿こと源頼朝にも早くから仕え、戦国時代には小田原北条氏の家臣に、小田原北条氏が滅ぶと徳川家康に仕え、伊豆が幕府直轄地になると、代官となってこの地を支配するというすごい歴史を持っています。
この正面入口や玄関などは、NHK大河ドラマ『西郷どん』で、島津久光の屋敷として使用されていたそうです。『篤姫』でも使われたそうですね。旧幕臣の屋敷なのに、不思議と島津家に縁があるのも面白い。
そしてこの屋敷の一番の見所は、何と言っても土間の天井裏。架構(かこう 小屋組み)という構造です。
天井板が張られていないため、内部構造を見ることができるのです。高さは約12m。
まるで芸術品のような、木材の組み方には圧倒されました。昔は茅葺きだったので、一層存在感があったかも知れません(今の屋根は銅板葺き)。
この柱は「生き柱」。生きている樹木(けやき)をそのまま柱にしているそうです。1,200年頃(約800年前!)に江川一族がここに移り住んだときから、生きた木をそのまま柱にしているのだとか。現在の主屋よりも更に年を経ている樹木というわけです。神聖な場所なのもわかりますね!
幕末の偉大な知識人・江川英龍(坦庵)
江川邸の中には、韮山反射炉よりも詳しい(と思われる)江川英龍(坦庵)の解説や資料がありました。
この地方の民政を担当しただけあって、公文書も多いし、
西洋砲術を学ぶため、長崎の高島秋帆に入門したときの文書などもありました。
洋式銃も展示されています。
ちなみに高島秋帆は江川英龍への伝授後、長崎貿易のずさんな管理運営の責任者として、武蔵国岡部藩(現・埼玉県深谷市)で幽閉されます。昨年の大河ドラマで玉木宏さんが演じた秋帆が、子供時代の渋沢栄一と出会っていましたね。
江川英龍は、書や絵(自画像も!)もよくするなど、かなり多才な人物だったようです。写真の「忍」は彼の自筆ですが、座右の銘でもあったそう。
高潔な人柄で人々からも慕われ、一地方代官としては異例の出世を遂げた江川英龍。
現在も、静岡県立韮山高等学校の「学祖」として、地元の人々に親しまれています。
今に親しまれる「パン祖のパン」
韮山反射炉見学後に立ち寄った売店で、「パン祖のパン」を見かけて思わず購入した私達でしたが、
この江川英龍こそ、日本で最初にパンを作った人物として、江川邸の庭園に
1952(昭和27)年に建てられた、立派なモニュメント「パン祖の碑」がありました。碑文を書いたのは、徳富蘇峰と知ってびっくり!
1842(天保13)年にこの江川邸で初めてパンが焼かれたそうです。
あの天井裏がすごかった土間に、その時のかまどがあると後で知りました。天井裏と生き柱に目を奪われ、土間の中にあったものにほとんど気がついていなかったのが悔やまれる。
江川英龍の後輩(?)にあたる静岡県立韮山高等学校の生徒たちが、「パン祖のパン」について詳しく紹介しています。現代の高校生らしく、アレンジレシピもあるのが面白いです。ぜひこちらからご覧くださいね。
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