かつての熱海温泉の中心・大湯間歇泉と湯前神社
2020年8月(あの土石流災害の1年前)、熱海を訪れる機会がありました。
來宮神社(きのみやじんじゃ)の次に訪れたのは、大湯間歇泉(おおゆかんけつせん)。
間歇泉とは、一定周期で水蒸気や熱湯を噴出する温泉のこと。
以前訪れた別府温泉にも、「龍巻地獄」という間歇泉がありました。
熱海にもてっきり間歇泉があるのだと思っていたら、今は止まってしまったとのこと。でもかつての姿を留めるべく、文化財(遺跡)として保存されています。
昔は「熱海七湯」の中心的源泉として1日8回湯を噴出させ、「世界三大間歇泉」とまで言われていました。

しかし明治以降、湯治客の増大に伴って各旅館が七湯以外にも源泉掘削(乱開発)を行った結果、枯渇してしまったようです。

ネットでは、「現在はおおむね5分毎に人工的に湯を噴出させ」と書かれていましたが、コロナ禍のせいか、湯が噴出する気配はありませんでした。
でも昔は、地面が揺れるほど湯と蒸気が激しく吹き出したのだとか。
その名残は、近くにある湯前神社(ゆぜんじんじゃ)の佇まいにも残されていました。

祭神は大国主命の国造りを助けたという、小さな神様・少彦名命(スクナビコナノミコト)。彼は温泉の神で、この神社は大湯そのものを神としてを祀っているのだそうです。
伊豆山神社の神湯として信仰された「走り湯」ではなく、この大湯間歇泉が熱海の中心になっていたのですね。
ちなみに、私たちは知らなかったのですが、湯前神社の御朱印は來宮神社で頂けるのだとか。温泉マークが入っている御朱印だそうです。
幕末・明治の香り残る大湯間歇泉
大湯間歇泉には、幕末や明治の名残もありました。
まず、幕末に赴任した初代駐日イギリス公使ラザフォード・オールコック。
彼は外国人として初めて富士山に登り、その帰路熱海に立ち寄って、この温泉を愛したそうです。
愛犬スコッチテリアのトビーが、大湯間歇泉で大火傷を負い、死んでしまうという悲劇にも見舞われましたが、村人が人間同様に手厚く葬ってくれました。帰国後「日本人は親切だ」と、著書でも紹介したのだとか。

オールコックの碑とトビーの墓が、大湯間歇泉に仲良く並んで建っています。
なお、顕彰碑などはないようですが、幕末に幕府を支持し、イギリスと対立したフランス駐日公使ロッシュも、熱海温泉がお気に入りで度々湯治に訪れていたようです。
そしてもう1つが、この電話ボックス。

明治になっても熱海には、政治家や政府高官が多数湯治に訪れ、東京と連絡を取る必要も発生しました。
そのため1889(明治22)年には、東京~熱海間には、日本初の市外電話が施設されました。この電話ボックスは、それを記念するためのものだそうです。
昔ながらの電話ボックスですが、中の公衆電話は十分使えそうです。
熱海の海岸を有名にしたカップル
大湯間歇泉から、今回の旅行で使用したホテル・リゾーピア熱海まで歩きました。
途中通りかかったのが、熱海の海岸。

コロナ禍真っ最中の夏ですが、海辺はオープンエアのためか、かなりの人!

密ではないのかな? 海水浴人気は昔の話と言う人もいるけれど、これを見る限り、まだまだ夏のレジャーの王道のような気もしました。
そして、熱海の海岸といえば、このカップル。

尾崎紅葉作『金色夜叉』の主人公・間貫一(はざまかんいち)と恋人の宮(みや)。若き秀才の学生・貫一の許嫁だった宮が、ダイヤモンドに目がくらみ、宮に言い寄る富豪と結婚を決意したため、貫一に蹴り飛ばされるシーンです。この場面が月夜の熱海海岸なんですね。
この物語はフィクションだけれど、大正時代には演歌、昭和には映画化もされて大人気になり、「お宮の松」やこの銅像が熱海サンビーチに建てられたそうです。
この小説は、1897(明治30)年に連載開始された小説なのですが、愛とお金を巡る男女の愛憎が描かれており、失恋した主人公の復讐劇や、ヒロインの不幸な結婚生活など、今でも十分面白そう。
執筆中に作者が死亡したため、未完に終わってしまいましたが、一体どんな結末を作者は考えていたのかな?
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