鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅1 問注所舊蹟碑と御成小学校

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鎌倉駅西口近くにある幕府の重要施設

2021年3月初旬、鎌倉を訪れました。今回の旅の目的は、『鎌倉殿の13人』に登場する北条氏や鎌倉幕府に関係する場所に行ってみること。

旅のスタートは鎌倉駅から。まず、最初の目的地は、北条政子や源実朝の墓のある寿福寺なので、鎌倉駅西口方向から北に進むことになります。

でも、地図をよく注意してみてみると、「問注所舊蹟碑(旧蹟碑)」という石碑がある!

鎌倉幕府の重要機構の1つ、裁判を行う問注所があった場所なら行ってみよう! ちなみに初代の問注所執事は、三善康信。『鎌倉殿の13人』では、小林隆さんが演じておられますね。

行ってみると、やはり石碑だけでした。しかしこれによると、元々鶴岡八幡宮に近い大倉幕府のすぐ近く(当然将軍の執務室のすぐ近く)にあった問注所を、2代将軍頼家がこの場所に移したらしいのです。

裁判を行う場所なので多くの人々が集まり、時には喧嘩も発生! 血の気の多い武士は、すぐに実力で決着をつけようとする行動に出るから、お行儀も悪かったのでしょう。

この騒々しさを嫌った将軍頼家の行動は、大河ドラマでは描かれるかな? 「裁判をないがしろにしてる」と非難されないかな? 「騒々しいと仕事に集中できない!」と怒る気持ちはわかります。

門注所の前の小学校もすごかった!

この石碑の道を挟んですぐ前は、小学校になっています。

最初は小学校とは知らなかったのですが、この建物を遠くから見ただけで、只者ではないと思いました。

門を見てさらにびっくり! どこのお屋敷なんだろう? と思っていたら

鎌倉市立御成(おなり)小学校と達筆で書かれてあって、二度びっくり! 一体どんな学校なんだろうと思って調べてみました。

するとこの土地には、明治天皇皇女の避寒所(御用邸)があり、それが廃止された後に小学校ができたことが分かりました。校名は御用邸のあったことを示す名残なのですね。

私たちが驚いた門は御用邸の正門(普段は左側の通用門から出入りする)で、校名を筆で書いたのは、俳人・小説家として有名な高浜虚子!

そして塀から見えた建物は、旧講堂(国の登録有形文化財)。ここではヘレン・ケラーが講演したのだとか。

この学校からは、堺正章、養老孟司、石原伸晃などの有名人も出ているのですが、もっと興味深かったのは、この学校の敷地から、古代の郡衙(ぐんが)=郡の役所の遺跡や、中世の有力武士の屋敷跡などが発見されたこと。

昔からこの辺りは、この地方の中心だったのだなと思いました。

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