源頼朝の父祖ゆかりの地・亀谷と源氏山
2021年3月初旬、鎌倉を訪れました。今回の旅の目的は、『鎌倉殿の13人』に登場する北条氏や鎌倉幕府に関係する場所に行ってみること。
旅のスタートは鎌倉駅から。まず、最初の目的地は、北条政子や源実朝の墓のある寿福寺なので、鎌倉駅西口方向から北に進むことになります。
問注所舊蹟碑(旧蹟碑)や御成小学校を見た後
さらに北上すると、鎌倉らしい住所表記に遭遇!
扇ガ谷(おうぎがやつ)と読みます。元々は亀谷(かめがやつ)と呼ばれ(鶴岡と対になっていた?)、頼朝の父・源義朝など源氏代々の館もあったそうです。
寿福寺の近くには、このような石碑がありました。
寿福寺ではなく源氏山の石碑で、源頼朝の曽祖父・義家とその父頼義が、前九年合戦や後三年合戦で東北へ赴く際、ここに白旗を立てて戦勝祈願をしたそうです(別名旗立山)。
北条政子と源実朝の墓参り
源氏山のそばに、目指す寿福寺がありました。
正式には、亀谷山寿福金剛禅寺というそうです。
頼朝の死後、妻の政子が頼朝の父・義朝旧邸跡を寺にしました。そして開山(初代住職)は、あの臨済宗の開祖・栄西です!
鎌倉五山の第三位として格式も高く、源実朝もしばしば訪れたのだとか。
ただ、目指す政子と実朝のお墓は、この門ではなく、別の場所から行く必要があるようでした。
後からグーグルマップで見てみると、「寿福寺トンネル」という短い素掘りトンネルがあったようです。覚えていない。通ったかな? でもとても素敵な場所なので、こちらを参考に、しっかりチェックしてくださいね!
とにかくこんな崖がいっぱいです!
そして墓地はとても広くて、どこに誰のお墓があるのかわかりません。
外国人のお墓もあるのですが、お墓マップや案内板がないので困りました。高浜虚子のお墓もあったらしいのですが、わかりませんでした。陸奥宗光のお墓も見たかったな。
何とか政子と実朝のお墓を発見しました。上が政子のお墓。やぐら(鎌倉特有の横穴洞窟)に五輪塔というとても質素な墓です。
下は実朝の墓。政子の隣のやぐらにあります。
これも石の五輪塔で、政子のよりも少し大きいくらいで、将軍の墓という雰囲気があまりありませんでした。
非業の最期を遂げたという点では、実朝も兄の頼家も一緒だけれど、母の政子の隣に眠っているから、まだ実朝は幸せかな。
なお、現在寿福寺は境内など一般公開していないらしく、御朱印をもらえた時期もあったようですが、私たちが訪れた時は、御朱印も貰えませんでした。早く御朱印がもらえるといいですね。
徳川家康の側室・お勝の方ゆかりの寺院も!
寿福寺の隣には、英勝寺という寺院がありました。
この寺院は、太田道灌(最初の江戸城を築いた)の子孫で、徳川家康の側室となったお勝の方が、太田道灌の屋敷跡に建てた寺院。
太田道灌の旧邸跡の石碑もありました。それにしても、100年前に亡くなった先祖の旧邸跡は、まだはっきり場所などわかっているものなんですね!
また線路の向こう側には、扇ガ谷上杉管領屋敷跡もありました。
戦国時代に本家の「山内上杉」と対立した上杉家の庶家ゆかりの地です。あちこちに思わぬ旧跡があって(京都や奈良みたい)、本当に鎌倉も歴史の宝庫だなと思いました。
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