鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅11 若宮大路幕府跡・妙隆寺・日蓮上人辻説法跡

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若宮大路幕府跡

2021年3月初旬、鎌倉を訪れました。今回の旅の目的は、『鎌倉殿の13人』に登場する北条氏や鎌倉幕府に関係する場所に行ってみること。

小町大路にある北条執権邸跡や土佐坊昌俊の屋敷跡から、足を伸ばして青砥藤綱旧跡や腹切りやぐらを訪ねた後は

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再び小町大路に戻り、若宮大路幕府跡を訪ねました。

ここは、第3代執権となった北条泰時時代の1236年から、幕府が滅亡する1333年まで、幕府があった場所。この時の将軍は、実朝暗殺後に京都から迎えられた頼朝の遠縁・藤原頼経(第4代将軍)でした。

北条時頼や時宗も、ここで政務をとったのですね。

この辺りは住宅街で、美しい花を眺めながら散策するのはとても楽しいものでした。

千葉常胤の子孫が建てた妙隆寺

次に訪れたのは、日蓮宗の妙隆寺へ。

頼朝挙兵や鎌倉幕府創設に大きく貢献した、下総国(千葉県北部)の有力御家人・千葉常胤の子孫である千葉胤貞が創建した日蓮宗の寺院です。

千葉常胤は、石橋山の戦いに敗れて安房国に逃れた源頼朝軍にいち早く参陣を表明。

鎌倉を本拠にすることを進言したり、富士川の戦い後、上洛しようとする頼朝をなだめて関東平定を優先させたりと、鎌倉幕府の重鎮として活躍しています。鎌倉幕府創設期の頼朝にとっては、北条氏よりもはるかに有力な大武士団の千葉常胤の存在は、とても頼もしかったことでしょう。

又従兄弟の上総広常が謀殺されると、千葉常胤の地位も徐々に低下していき、やがて北条氏や比企氏が権力を握るようになりますが、常胤の死後も千葉氏は有力御家人としての地位を守り続けました。

本堂の右手には、室町時代に活躍する日蓮宗の日親(にっしん)上人が21歳の時、厳しい水行をしたという池がありました。

厳寒の百日間、ここで水垢離を行ったようですね。

この修行後、日親上人は京都に上り、室町幕府6代将軍足利義教に著書を献じて日蓮宗への改宗を目論んだものの失敗し、投獄されて舌先を切り取られたり、真っ赤に焼けた鉄鍋を頭に被せられる拷問を受けましたが、信仰を捨てることはありませんでした。

日蓮上人辻説法跡

続いて訪れたのが、小町大路にある「日蓮上人辻説法跡」。

鎌倉には日蓮宗の寺院や、日蓮に関する史跡がかなり多いなという印象があるのですが、ここもその1つです。

鎌倉時代、このこの辺りは武士の屋敷と商家町が混在した地域だったようで、日蓮上人はここで毎日のように法華経の功徳を説く辻説法を行ったと伝えられています。

彼も北条時頼や時宗から弾圧されましたが信仰を貫き、その情熱的な布教の姿勢は、後の時代、日親上人に受け継がれていくことになります。

以前大河ドラマ『北条時宗』で、奥田瑛二さんが日蓮を演じておられたのを懐かしく思い出しました。

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