鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅4 実朝暗殺の舞台となった鶴岡八幡宮

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2021年3月初旬、鎌倉を訪れました。今回の旅の目的は、『鎌倉殿の13人』に登場する北条氏や鎌倉幕府に関係する場所に行ってみること。

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いよいよ武士の都・鎌倉の象徴でもある鶴岡八幡宮に参拝です。

源実朝暗殺現場と、公卿が隠れていた大銀杏

今回鶴岡八幡宮で一番見たかったのが、大石段と大銀杏。

今は狛犬がかわいくマスクをしているこの大石段。でも1219年1月27日、鎌倉幕府3代将軍源実朝が、右大臣昇任の拝賀のため鶴岡八幡宮を参拝し、退出の最中に甥の鶴岡八幡宮別当(長官)・公暁に暗殺された場所でもあるのです。

よく考えたら血なまぐさい場所ですね。殺害現場は石段13段目だと言われているそうですが、真偽は不明とのこと。

惨劇が起こったのは雪の日の夜。雪が積もったこの石段を、歩きにくそうなあの沓(くつ)と、裾の長い衣冠束帯の衣装で静々と降りてきた実朝。逃げる間もない、一瞬の出来事でした。

『鎌倉殿の13人』オープニングのラストシーンは、この暗殺の瞬間なのかな? 公暁は鎧武者のような姿で襲撃するのかな?

公暁が隠れていたという伝説がある大銀杏は、残念ながら2010(平成22)年に強風で倒壊。

倒れた大銀杏は撤去されたけれど、根元から高さ4mまでが、7m離れた場所に移植されました。

そして大銀杏の根元に生えていたひこばえ(若芽)が確認され、大切に育てられています。

これからどんな姿に育っていくのか、楽しみですね!

公暁の読み方はくぎょう? こうぎょう?

さて、今回の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で気になっていることの1つが、「公暁」の発音。

日本史の授業でも、色々な本でも、ずっと「くぎょう」と習ってきたのですが、

『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当された1人、坂井孝一先生のこの本

によると、公暁が修業した園城寺(三井寺)では、公卿の師である公胤を「こういん」と発音していて、きっと公暁も「こうぎょう」と呼ばれていたと書かれていました。

大河ドラマでは、どんな風に発音されるのかな?

実朝暗殺と北条義時

ところで実朝が暗殺されたとき、北条義時も本来なら行列に供奉しているはずだったのに、惨劇の現場には、義時の姿はありませんでした。

関白九条兼実の弟・慈円が、現場に遭遇した公卿や殿上人(都から実朝右大臣拝賀の式典に参列するため後鳥羽上皇から派遣された)から聞き書きした『愚管抄』の記述によると、

義時は実朝から、「中門にとどまれ」という命令を受け、他の武士たちとともに暗殺現場からはかなり離れた場所にいたのだとか。

鶴岡八幡宮へ向かう行列では、実朝の牛車のすぐ前、2列になって進む前駆の最後尾右にいた義時ですが、暗殺の時には、その位置には別の人物(源仲章)がいて、その人物は公暁の仲間に殺害されています。

『愚管抄』の記述はすべて正しいかはわかりませんが、もし本当なら、なぜ義時は儀式の場に参列できなかったのでしょうか? やはり都から派遣された公卿や殿上人と比べると、身分が低すぎたためでしょうか?

また、源仲章は義時と間違われたのでしょうか? それとも仲章本人が狙われたのでしょうか?

公暁は暗殺の翌日、三浦義村勢に討たれたので真実は不明のまま、実朝暗殺には黒幕がいるのでは? その黒幕は北条義時では? などという説も出たりしました。

最近では、4代将軍の座を狙っていた公暁が、「親王将軍擁立」(実朝は引退し、後鳥羽上皇の息子=親王将軍を補佐する)の動きに焦り、親王将軍擁立が具体化する前に実朝を暗殺して自分が将軍になろうとしたという「公暁単独犯説」が注目されているようですね(坂井孝一先生もこの説)。

この点も大河ドラマはどう描くのでしょう。楽しみですね。

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