鎌倉で北条氏や鎌倉幕府の足跡+&を訪ねる旅22 北条泰時ゆかりの常楽寺

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初めての大船 松竹撮影所跡から常楽寺へ

2021年3月初旬、鎌倉を訪れました。今回の旅の目的は、『鎌倉殿の13人』に登場する北条氏や鎌倉幕府に関係する場所に行ってみること。

午前中に鎌倉駅から徒歩移動し、永福寺(ようふくじ)跡や明王院、浄妙寺、報国寺を訪問した後は

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鎌倉駅から電車とバスを乗り継いで、

大船(おおふな)にある常楽寺を訪れました。

大船に行くのは、初めてです。『ビブリア古書堂の事件手帖』の舞台の1つでもあり、

シリーズで時々紹介されている大船の観音様(大きい!)や

元松竹大船撮影所跡の碑(余りにもささやかなのでびっくり!)を見た後、バスで常楽寺へ向かいました。

北条泰時を開基とする常楽寺

この寺院は、もともと粟船御堂(あわふねみどう)と呼ばれ、北条泰時が夫人の母の追善のために建立したと言われています。

北条泰時夫人といえば、『鎌倉殿の13人』にも登場する三浦義村の娘(ドラマでは「はつ」)矢部禅尼(4代執権経時・5代執権時頼の祖母)が有名ですが、この寺院が創建された1237年には、2人は既に離婚していました。夫婦仲が悪いわけでもなく、原因は不明だそうです。

その後北条泰時は、武蔵の御家人である安保実員(あぼさねかず)の娘と再婚しました。この寺は、彼女の母のために創建したのでしょうか。

茅葺きの立派な山門を過ぎると

本堂と庫裏があり

更に進むと仏殿です。

仏殿本尊の阿弥陀如来は、1242年に臨終間際の北条泰時が、往生を祈願して造立したもの。

この寺院は元々、密教や浄土教系の寺院だったのですが、泰時の死後、5代執権となった北条時頼(泰時の孫)によって宋の禅僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が招かれ、中国風の禅宗を広めました。現在では臨済宗の寺院となっています。

やがて建長寺が建立されると、蘭渓道隆も建長寺に招かれ、建長寺が鎌倉の禅宗の中心になりますが、その後も常楽寺は重視され続けました。

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仏殿の横に建つ文殊堂。蘭渓道隆ゆかりの文殊菩薩が安置されているそうです。

北条泰時の墓参り

この寺院を訪れた目的の1つが、北条泰時と木曾義高の墓参り。

北条泰時の墓は、すぐ見つかりました。仏殿の裏手に、他の僧侶と並んで墓があります。

ちゃんと案内板もあるのでどのお墓かわかりました。ありがたい。一番右端です。

ただ、開基(寺院建立のスポンサー)の墓であり第3代執権の墓(しかも教科書にも登場する重要人物で名執権)としては、とても質素なので驚きました。

他の鎌倉の寺院と違い、やぐらはありませんでしたが、北条政子や源実朝と同じ、簡素さを感じる墓でした。

ちなみに泰時は、長男と次男、娘の1人に先立たれています。60歳で亡くなったようですが、日頃の過労に加えて赤痢を併発し、高熱で苦しみ、平清盛のような最期だったそうです。家庭的には幸せではなかったのかも知れません。

木曽義高の墓は見つからず

さて、もう1つ見つけたかったのが、北条政子の長女・大姫と婚約した木曽義仲の息子・木曽義高の墓。

裏山の中腹あたりにあるということで、探したのですが、見つかりませんでした。

後で調べると、裏山の山の上とも中腹とも書かれています。

近くには、大姫の墓もあるそうです。大人の都合で若い命を落とした2人の墓を、いつかお参りしたいものです。

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