伊豆の小京都で紅葉と竹林に癒されよう
今から2年前の11月下旬、横浜発のHISバスツアーで沼津や修善寺温泉を訪れました。
修善寺温泉での自由散策時間は、16:00~16:45の僅か45分!
色々見たい個所はあるのですが、最優先したのが、現在NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも話題の、源頼家の墓参りでした。
大型バス駐車場からは、徒歩で10分弱。でも添乗員さんが紹介しているメインの観光地(修禅寺など)からは川を隔てて反対側です。時間的に、両方見るのはなかなか厳しそう。
ともかく桂川に架かる楓橋を渡って進みます。紅葉が美しい!
後で知ったのですが、桂川には楓橋を含め5つの橋があり、修禅寺に幽閉された源頼家と面打ち職人の娘・桂との悲恋を描いた新歌舞伎の『修禅寺物語』にちなみ、「恋の橋めぐり」という散策コースもあるのだとか。
橋を渡ると「竹林の小径」。京都の嵐山によく似た雰囲気です。修善寺温泉が「伊豆の小京都」と言われるのもわかりますね。
円形ベンチに寝転がって、竹に囲まれた空を見上げることもできます。
やってみるとこんな風に見えました。嵐山の竹林では、こんなベンチはあったかな?
北条政子の寄進した指月殿
源頼家の墓がある一帯は、源氏公園と呼ばれています。
まず目に入ったのが、指月殿(しげつでん)という小さなお堂でした。
伊豆で最古の木造建築物といわれています。
扁額の「指月殿」は、フビライ=ハンの死後、日本に朝貢督促のため派遣された元の禅僧・一山一寧によるもの。9代執権北条貞時は、元軍再来襲を警戒して彼を修禅寺に幽閉しましたが、「国師号」を持つ高僧だったので命は奪わず、疑いが晴れた後は彼に帰依しました。彼が幽閉されていた時に揮毫されたのでしょうか。
金色に輝くのは、本尊の釈迦如来像です。
この建物は、源頼家がこの地で暗殺されたのち、母親の北条政子が頼家の冥福を祈って建てたもの。
経典を納める経堂として修禅寺に寄進されたこの建物には、政子によって宋で印刷された大蔵経が納められました。
大蔵経(一切経)は、経(釈尊の教え)・律(僧侶の生活規範)・論(経の注釈書)の「三蔵」と、仏教の解説書などをすべて含む数千巻にも及ぶ仏教典籍のこと。
頼家の暗殺に、彼女はどのくらい関わったのでしょうか。
頼家を暗殺したのは「北条氏の手兵」とのことです。時政が命令し、義時もそれを知っていた可能性は非常に高い。
一方政子は頼家の鎌倉追放には関わりましたが、母親として、我が子の暗殺に積極的に関与したようには思えません。
ただ、自分の肉親が我が子を殺害し、それを止められなかったことは、悔やんでも悔やみきれなかったことでしょう。
彼女が寄進した経典は1巻のみ、修禅寺に保管されていますが(他は徳川家康により増上寺に移されたとか)彼女の署名があるので、政子自身が写経したのかもしれません。
彼女の慟哭が聞こえてきそうです。
一風変わった指月殿の本尊
修禅寺は曹洞宗(禅宗)なので、本尊も外から拝観できました。
後で知ったのですが、この像は、禅宋式という珍しい様式の丈六釈迦如来座像。
本来は持ち物がないらしいのですが、この像は右手に蓮の花を持っています。
この像も鎌倉時代初期の作で、昭和に解体修理されました。
その際、一般の寄木造なら50~60個の木片で構成されるのに、この仏像は2,000個もの木片が使われていることがわかりました。
こういうところにも、頼家の冥福を祈る政子の祈りが表れているなと思いました。
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