ささやかな源頼家の墓
今から2年前の11月下旬、横浜発のHISバスツアーで沼津や修善寺温泉を訪れました。
修善寺温泉での自由散策時間は、16:00~16:45の僅か45分!
最優先したのが、現在NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも話題の、源頼家の墓参りでした。
北条政子が源頼家の冥福を祈るために寄進した指月殿に隣接して、頼家の墓はありました。
源頼朝や北条政子、源実朝の墓も質素でしたが、彼の墓もささやかなものでした。大きな石は、元禄時代に頼家500周忌の供養塔として建立されたものなのだとか。
墓は供養塔の裏側にある(小さく見える)石の五輪塔でした。わからない!
頼家は素行の悪い鎌倉殿だったのか?
2代将軍・源頼家を乳母として養育し、頼家長男の一幡の祖父でもある比企能員と、北条政子の妹・阿波局(大河ドラマでは「実衣」)を乳母とする頼家の弟・千幡を擁する北条時政の争いは、比企一族の滅亡を招き
頼家の追放、修禅寺での幽閉、そして暗殺へと続いていきました。
18歳で父の跡を継いで鎌倉殿になり、23歳(満年齢に直すと21歳)で暗殺されたのです。ちなみに弟の実朝は、28歳(満年齢だと26歳)で暗殺されました。
頼家の素行については、大河ドラマでも描かれた、安達景盛の妻(実は愛妾)を奪おうとする事件を起こしたり、土地争いを乱暴に解決したというエピソードから、一般によくないといわれています。
これについては頼家を殺害した北条氏が非難されないよう、後世に編纂された鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』が、故意に事実を曲げて記述した可能性もあります。
大河ドラマではどのように描かれるのでしょうか?
三谷幸喜さんは、大河ドラマ『真田丸』でも、偉大なる親を持った二代目たちの苦悩を描いていました。頼家もきっと、苦悩する二代目なのでしょう。
鎌倉から追放され、修禅寺に幽閉された頼家は、近隣の子供たちと付近の山を遊びまわり、子供たちの面倒見はよかったようです。根は悪い人ではないのかも。
お伺い石と十三士の墓
頼家の墓のそばには、北条政子が寄進した指月殿のほかにも、興味深いものがいくつかありました。
まずはうっかり見落としてしまった「お伺い石」。
2枚の案内板の間にある蓮の花のような石で、指月殿の本尊・釈迦如来が右手に持つ蓮の花と同じ形をしています。
古くから頼家の墓のそばにあり、この石を持ち上げて軽く感じれば想いが叶うのだとか。もし重く感じたら、指月殿で祈願すればいいそうです。
もう1つが、「十三士の墓」。
頼家の家臣13人が頼家の暗殺6日後に謀反を企てたけれど、事前に発覚して北条義時の家臣である金窪行親(かなくぼゆきちか)らに殺されてしまいました。その家臣たちの墓といわれています。
以前はもう少し離れた場所にあったのですが、台風の被害にあって、2005年に主君である頼家の墓の近くに移されたのだとか。
13人の家臣たちの名前は伝わっていませんが、主君の敵を討とうとした忠義の家臣たちに見守られて、頼家もきっと安らかに眠っていることでしょう。
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