2022年8月29日(月)、初めて岩手県の盛岡市を観光しました。
宮沢賢治ゆかりのいーはとーぶアベニューへ
盛岡ゆかりの作家では石川啄木が有名ですが、
もう一人忘れてはならないのが、宮沢賢治。13歳から24歳までの学生時代を過ごしたのが盛岡です。
その盛岡に、賢治ゆかりの店や賢治にちなむオブジェがある、いーはとーぶアベニューという商店街があると知り、訪ねてみました。
カタカナでイーハトーブと書かれることも多いこの言葉は、宮沢賢治の造語で、エスペラント語ではないそうです。彼の心の中にあった岩手県をモデルにした理想郷がイーハトーブと言われています。
いーはとーぶアベニューがあるのは、盛岡駅から徒歩10分足らずの場所にある材木座商店街のメインストリート・材木町通り。
北上川に架かる旭橋を渡ります。
商店街の裏、北上川に面した石組は、江戸時代の面影を残す貴重なもののようです。
旭橋を渡るとすぐ商店街。その入り口近くに
宮沢賢治の像がありました。石の採掘場で休む賢治を表現した彫刻「石座」です。
賢治が座っているのは花崗岩、その後ろにあるのは安山岩や閃緑岩などで、石が大好きだった賢治を表現しているようでした。
ゆかりのオブジェを見て回ろう
この商店街でとりわけ印象的だったのが、このチェロのオブジェ。「音座」という名前です。
私たちは聞くことができませんでしたが、宮沢賢治が作曲した『星めぐりの歌』が聞こえるのだとか。
賢治が詠んだ短歌を記した陶板を設けた「詩座」など、ほかにもいろいろなモニュメントがありましたが
「雨ニモマケズ」の詩碑は、せっかく有名な作品なのに
文字がかなり読みにくく感じられて、少し残念でした(私たちの目が悪いだけ?)。
『注文の多い料理店』を出版した光原社
いーはとーぶアベニューの中でもとりわけ賢治ゆかりの店として、そして民芸品を扱う店として、ガイドブックやTV番組などで紹介されているのが光原社。
私たちは偶然、『美しい日本に出会う旅』でこの店のことを知りました。
元々は、盛岡高等農林学校での賢治の後輩が創業した出版社で、社名も賢治が考えたそう。
賢治の童話集『注文の多い料理店』を出版したもののほとんど売れず、光原社は新たな事業として、南部鉄瓶の製造販売に乗り出しました。
やがて工芸の道へと進み、民藝運動の創始者・柳宗悦とも親交を深め、全国各地の民芸品を扱うようになったそうです。
光原社の本店は全国から集めた伝統工芸品を販売し、
道路を挟んだ向かい側にある別館「モーリオ」では、東北の手仕事品を中心に販売されています。
今日は絶対わんこそばを昼食で食べる!という大目標があったので
中庭にあるカフェ「可否館」には行けませんでした。
中庭にはカフェのほか、賢治の直筆原稿などがみられるマヂエル館もあったようです。
今度は時間をゆっくり取って訪れてみたいなと思いました。
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