2022年11月17日(木)、大津市散策の2日目。瀬田の唐橋や後建部(たけべ)大社を訪れた後、石山寺へ向かいました。
京阪電車大津線と『響け!ユーフォニアム』のコラボ
瀬田の唐橋や建部大社の最寄り駅・唐橋前駅から、わずか一駅ですが、京阪石山坂本線に乗り、石山寺駅へ向かいます。
向かいのホームに到着した列車。
私はタイトルしか知らないのですが、高校の吹奏楽部を舞台にした『響け!ユーフォニアム』(京都アニメーション制作)のラッピング電車でした。実はもう1種類ピンク色を基調としたものがあるらしいのですが、これしか見るチャンスはありませんでした。
京阪石山寺駅から石山寺へ 鬼の姿となった石山寺の名僧にちなむ庭園も
京阪石山寺駅から石山寺までは、グーグルマップによると
徒歩で10分少し。でもなぜか、意外に遠く感じてしまうのです。
きっと道沿いの紅葉が美しかったり
石山寺でも屈指の名僧・朗澄(ろうちょう)大徳ゆかりの庭園があったり、いろいろ寄り道するところが多かったからでしょうか。
この庭園は1999(平成11)年に造られたもの。朗澄は死後鬼となって石山寺の経典と聖教を護ると誓ったそうです。庭園中央の石碑には、鬼となった姿の朗澄が刻まれていました。
石山寺 しが周遊クーポンなら拝観料がお得
石山寺は、奈良時代に東大寺初代別当だった良弁(ろうべん)によって開かれた真言宗の寺院。
東大門を再建したのは淀殿だそうです。
門を入ってから美しい紅葉の参道を歩き、受付へ。しが周遊クーポンでは、クーポン1枚(1,000円分)につき、石山寺入山・門前店舗で使える1,200円分の商品券「光ルくんチケット」と交換できるとあったのですが、交換してくれる石山観光協会の場所がわかりませんでした(結局2人でクーポンと現金200円払いました)。
グーグルマップによるとこの辺りらしいのです。東大門に入る前に観光案内所に行って、「光ルくんチケット」と交換するのがよさそうです。
受付近くのパワースポット くぐり岩と比良明神影向石
その近くにあったのが「くぐり岩」。
穴を通り抜けると願い事が叶うとされているパワースポットらしいです。
岩のそばには錦鯉の泳ぐ池もあり、紅葉が素敵でした。
ここは良弁と、この地の神である比良明神が出会った場所(比良明神影向石)。一見井戸みたいだけど、石なんですね。ここで神様は釣りをしていたそうです。
源頼朝が寄進した多宝塔
石段を上ると
美しい多宝塔が見えてきました。石山寺に残る『鎌倉殿の13人』ゆかりの場所としてもっとも有名な建物でしょう。
平治の乱後、石山寺が源義朝の長男・源義平(生母の身分が低いため嫡男とはされず)を、平清盛から匿っていた(結局発見されて処刑)ことに対する礼として、1194年に源頼朝が寄進した多宝塔です。年代がわかるものとしては、日本最古の多宝塔なのだとか。
登るのが少々大変ですが、
日本で最も美しい多宝塔と言われるこの姿は必見!
内部には快慶作の大日如来もあるのですが、残念ながら拝観できませんでした。
ちなみに見落としてしまいましたが、石山寺の「かくれ谷」という場所には、源義平の供養塔もあるそうです。
源頼朝供養塔と頼朝の次女・三幡姫乳母(亀谷禅尼)の供養塔
多宝塔のすぐそばには、2基の石塔がありました。
右が源頼朝、左が亀谷禅尼の供養塔と伝わります。亀谷禅尼は『鎌倉殿の13人』で今も大活躍されている大江広元殿の兄・中原親能(ちかよし)の妻で、頼朝と政子の次女として誕生した三幡(さんまん)姫の乳母でした。
頼朝は長女大姫の死後、大姫のかわりに三幡姫を入内させようとしますが、頼朝の死後三幡姫は病となり、わずか14歳で亡くなってしまいます。
姫の死後、中原親能夫妻は出家し、妻は石山寺に住んで「石山の尼」と呼ばれ、頼朝に石山寺再興を勧めたそうです。石山寺にとっては彼女は恩人なのですね。
この石塔の近くには、「めかくし石」という石塔(石造宝塔)があり、目隠しをして塔身を抱きとめることができれば願いが叶うそうです。
中原親能と毘沙門堂
多宝塔の下にある毘沙門堂は、亀谷禅尼の夫・中原親能ゆかりの場所。
『石山寺縁起絵巻』によると、中原親能が和束の謀反人たちを討伐する際、石山寺で祈ったところ毘沙門天が現れて、無事に鎮圧することができたのだとか。
中原親能も『鎌倉殿の13人』に登場しましたが(13人の1人)、大江殿と同じく京都の下級貴族出身(文官)で、京都と鎌倉の交渉で大きな役割を果たしました。九州に多くの荘園があったと言われます(のちの戦国大名・大友氏の初代を養子にしたとも)が、謀反人討伐とはちょっとイメージが違うような気も。
毘沙門堂の伝説は、亀谷禅尼が大きく関与しているのかなとも思いました。
コメントを残す