2022年11月17日(木)、大津市散策の2日目。瀬田の唐橋や後建部(たけべ)大社を訪れた後、石山寺を参拝した私たち。
「日本一のうなぎの名店」逢坂山にあり?
最後の目的地は、今日のランチの店。うなぎ好きの夫がネットで見つけ、ありがたいことに「しが周遊クーポン」も使える「かねよ」です。
大津市のレストランですが、地図で見ると逢坂山にあることがわかりました。
ここも大津市内なんですね(大津市はかなり広い)。最寄り駅は京阪京津線の大谷駅です。
びわ湖浜大津駅から京津線に初めて乗ったのですが、路面電車の要素あり(上の写真)、山岳列車の要素もあり(最急勾配61%)、地下鉄にも乗り入れている3つの特徴を併せ持つ日本唯一の鉄道らしい(でも赤字で廃止の危機!)。
大谷駅を出ると、早速看板がお出迎え。
「かねよ」には本店とレストラン部があるのですが、この日は本店(上の2枚)が休みで、レストラン部のみの営業でした。
本店は予約ができるのですが、レストラン部は予約ができません。この日もかなりの人たちが待っていました。先着順に名前を書いて、必ず1人は待っておくようにということですが、この調子だと絶対30分~1時間は待つのではと思い、周辺の散策に出かけることにしました。
蝉丸神社に参拝
まず最初に訪れたのは、かねよのすぐ近くにあった蝉丸神社。
急な階段を上がって参拝しました。
「知るも知らぬも逢坂の関」の歌が小倉百人一首にも採用されている蝉丸は、平安前期の歌人ですが、詳しいことはわかりません。
盲目で琵琶の名手であり、天皇の皇子との説もあります。逢坂の関近くに庵を結んで住んでいたとか。
夢枕獏さんの『陰陽師』に登場する安倍晴明の親友で管弦の名人・源博雅(ひろまさ)が
どうしても蝉丸の演奏を聞きたくて、3年間通い続け、3年目の8月15日の夜に琵琶の秘曲である『流泉』『啄木』を伝授されたと『今昔物語』は伝えています。
関の明神として、そして音曲を始めとする諸芸道の祖神として蝉丸はこの神社に祀られているのですが(街道の守護神である猿田彦命も祀られている)、無人の社でかなり寂れている様子。
御朱印は、昨日参拝した三尾神社で頂けます。
あの時はまさか蝉丸神社に来るとは思わなかったので、御朱印は頂かなかったのですが、人生何があるかわかりませんね。
逢坂の関跡と大津絵
レストランの東側(大津)方面に行ってみると、ちょっとした広場がありました。
この辺りが逢坂の関跡なのでしょうか。
逢坂の関は近江(滋賀県)と山城(京都)との境にある逢坂山の南の峠に設けられた古代の関所です。伊勢の鈴鹿関、美濃の不破関と並んで、三故関と称されます。
蝉丸の和歌など、逢坂の関にちなむ石碑もありました。
平安京遷都の翌年795年、関は廃止されますがその後も歌枕として残り続け、街道をゆく人々の土産物として、江戸時代からは大津絵も販売されたそうです。
現代でも国道1号線(旧東海道)が走りますが、車に比べて歩く人はめっきり減ってしまいました(でも自転車の猛者がいた)。
2時間待ちで食べたきんし丼
このようにあちこち散策しても、店に戻ってから、かなり待ちました。
入店してからも料理を注文して出来上がるまでさらに待ち(うなぎ料理はどの店でも、注文してから出来上がるまで時間がかかる?)結局2時間待ち。食べる時には、2時半を過ぎていました。
注文したのはこの「きんし丼」(税込み2,530円)。普通のうな重の上に、大きなだし巻き卵がどーん!と載っています。こんなの他の店では見たことないです。
卵を3個使用したというだし巻き卵も、うなぎもとても美味しくて、おなかが空いていたのもあって、あっという間に食べてしまいました。やはり並んでも食べる価値はあるなと思います。
実はすごい駅だった大谷駅
私たちは山科まで、再び京津線に乗って移動したのですが、京都市と大津市という2つの県府庁所在地を結ぶ(三条京阪駅ーびわ湖浜大津駅)私鉄にもかかわらず、かなり電車の本数が少ないのにびっくり! 駅も無人駅です。
仕方がないので、電車が来るまで駅周辺を散策してみました。
駅の近くの歩道橋の上からは、国道1号線や京津線の線路がよく見えます。
紅葉が美しいし、かねよ以外にもうなぎ屋さんが多いような気がしました。
江戸時代、この辺りの茶屋の娘と京都・大津間でうなぎの行商をしていた男性が結婚し、ここにうなぎ屋を出したのが逢坂山とうなぎの出会いのようです。普通に考えたら、あまり結びつかない場所ですよね。
大谷駅には、大津絵(藤娘)も飾ってありましたが、実は日本一急傾斜の駅なのだとか。後になって知りました。
Ⅴ字型の谷の底にある駅で、駅のホームにあるベンチは、左右の足の長さが違っているのだとか。今回は知らずに通り過ぎてしまいましたが、興味のある方はぜひ実際に自分の目で検証してみてくださいね。
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