2023年3月4日(土)、岡山市を出発し、総社市にある「鬼ノ城(きのじょう)」を訪れました。
山岳仏教の聖地・岩屋寺跡
鬼ノ城北門から約3km。急坂を頑張って降りて、岩屋寺の休憩所にたどり着いた私たち。
一休みした後、まず岩屋寺へ。
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最初に出会った、地神の祠。土地の神様かな?
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石段を登っていくと建物がありましたが、どうやら無人のお寺みたい。平安時代には、山岳仏教の聖地として栄えていたようです。
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更に進むと。岩屋寺毘沙門堂。ここも無人でした。
自然の造形の不思議 鬼の差し上げ岩
そしてこの近くに、面白い形の岩がありました。下の写真の天井部分にあたる岩は「鬼の差し上げ岩」という名前で、
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桃太郎伝説の鬼・温羅(うら)が巨大な岩を差し上げて岩窟を造り、ここを住処にしたという伝説があるのです。
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別の方向から見てみると、さらに迫力!
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岩の大きさは、およそ縦15m、横5m、厚さ5mで、岩の左側にある窪みは差し上げた時にできたと言われ、「鬼の手形」と呼ばれています。
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差し上げ岩の下に建物があったので、行ってみると
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不動明王(岩に彫られている)が祀られていました。
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内部から外を見ると、こんな感じ。ふと、4年前に訪れた琉球王国の聖地・斎場御嶽(せーふぁうたき)を思い出しました。
この場所も、母の胎内を思い起こさせる場所だったのでしょうか。
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パワースポットとして人気なのもよくわかりました。古代の人々も、畏敬の念でこの風景を見ていたのでしょうね。
次々に現れる巨岩 鯉岩は見つけられず
更に歩いて行くと、さらに多くの巨岩に出会いました。
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鬼の餅つき岩。真ん中の少しくぼんだ所で、鬼が餅つきをしたのかな? 命名の由来が謎。
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少し木が邪魔だけれど、ここもなかなか景色がよかったです。
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ここを過ぎると鯉岩という巨岩もあるのですが、どうしてもそれらしき岩を見つけることができませんでした。
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でも八畳岩は見つけました。
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こちらは屏風岩。これらの巨岩は花崗岩で、長い年月をかけて風化し、硬い岩盤層がむき出しになったためなのだとか。
山岳仏教の痕跡と「皇の墓」
巨岩や奇岩が多い岩屋寺周辺には、
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石仏の姿がよく見られました。
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標高465mと一番高い場所にあったのは、馬頭観音像(右)。
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観音菩薩の頭上に、馬が彫られているのがわかりますね。
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そしてコースの最後にあったのが、「皇(おう)の墓」。広い場所にポツンと1つ、石塔がありました。
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岩屋寺の開祖で文武天皇(聖武天皇の父)の子として生まれた善通大師の墓とされていますが、詳しいことはわかりません。
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ここにも石仏が佇んでおり
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しばらく歩くと、墓地が現れました。岩屋寺で修業した僧侶たちの墓でしょうか。
番外編:鬼の釜
岩屋寺から鬼ノ城へ戻り、最寄り駅のJR服部駅まで
7.8kmの道のりを歩いていると(下りで楽なはずなのですが、かなり時間がかかり大変でした!)
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鬼ノ城を過ぎたあたりで、こんなに大きな釜が!
「鬼の釜」と呼ばれ、温羅が使っていたという伝説もあります。
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鎌倉時代に東大寺再建などで活躍した重源(ちょうげん)上人が、この地を訪れて浄土堂を修理し、阿弥陀仏を安置したと伝わっているので、もしかしたら彼が人々のために湯屋を造り、その湯を沸かすために巨大な釜を造ったのではという説も。
恐ろしい鬼が使ったという釜が、実は人々のために使われていたというのも(真実なら)面白いですね! それにしても、岡山には温羅にまつわる伝承が多いです。人々に愛されていたのかもしれませんね。
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