朝の連続テレビ小説『らんまん』主人公のモデル・牧野富太郎ゆかりの地を、昨年から今年にかけて訪ねることができました。
昨年6月26日(日)、牧野富太郎が生まれた町・高知県佐川町に行き、富太郎が11歳から教育を受けた名教館(めいこうかん)や富太郎の生家跡に建つ牧野富太郎ふるさと館、牧野公園を見学しました。
それ以外にも佐川町には、なかなか面白い見どころがありますのでご紹介します。
宮内大臣も務めた田中光顕と青山文庫
牧野富太郎が学んだ名教館で共に学んだのが、田中光顕(みつあき)。武市半平太や坂本龍馬らと共に土佐勤皇党に参加し、勤皇党が弾圧されると同志を集めて脱藩。薩長同盟成立に貢献し、中岡慎太郎の陸援隊幹部にもなっています(写真は名教館のもの)。
明治維新後は新政府に出仕して、1898年から約11年間にわたって宮内(くない)大臣を務めました。
牧野富太郎が膨大な借金を抱えて苦しんでいた時、見かねた佐川町出身の東京帝国大学法学部教授・土方寧(やすし)が尽力し、同じく佐川町出身の田中光顕の力を借りて三菱(創業者の岩崎家は土佐出身)に借金の清算を依頼したというエピソードもあります。
政治家引退後は、各地で維新志士の顕彰に尽力し、彼らの遺品や遺墨(生前に残した書画)を熱心に収集。
それらの一部が、佐川町立青山(せいざん)文庫に展示されています。
私たちは表示を見た時、てっきり図書館だと思っていたのですが、実は博物館だったのです。
牧野公園に行く途中にあったのですが、時間がなかったこともあり、この時は訪れませんでした。
維新志士関係の展示品だけでなく、佐川町の領主だった土佐藩家老・深尾氏の資料や、札幌農学校在学中に読んだ『セルボーンの博物誌』に感銘を受け、50年以上にわたりその翻訳に尽力した西谷退三(たいぞう)の蔵書群(なんとなく牧野富太郎に似ている)もあるのだとか。写真は佐川地場産センターで展示されていた、西谷退三の写真です。
牧野富太郎に関する展示もあるようです。詳しくはこちらをご覧くださいね。
うえまち駅の木造2等客車
佐川文庫庫舎に隣接して、うえまち駅という新しい建物がありました。
建物内には、青山文庫(現佐川文庫庫舎)の隣で資料閲覧室として長らく町民に愛され、活用されていた「ロ481号客車」が移設されています。
国内に唯一現存する、木造2等客車だそう。
ちなみにロはカタカナのロで、現在のグリーン車に該当します。
確かに内装が美しい! 座席がふかふか(座ってないけど多分そうでしょう)で座り心地良さそう!
トイレや洗面台も付いています。
前回紹介した佐川文庫庫舎には、その当時の写真がありました。これが当時の青山文庫全景なのですが、中心に車両があって、「汽車閲覧室兼来賓休憩所」と書かれています。確かにこの列車なら、来賓の休憩室でも大丈夫でしょう。
そもそもなぜ今のグリーン車が佐川町にあるのかというと、佐川町への鉄道(土讃線)建設に尽力した田中光顕の功績をたたえ、1933(昭和8)年に鉄道省から佐川町に贈られたのだとか。
田中光顕の墓は東京文京区の護国寺にあるそうですが、故郷・佐川町の牧野公園にも、牧野富太郎の墓から少し離れた場所に立っていました。佐川町の誇りなんですね。
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