2023年7月6日(木)、久々にHISのバスツアーに参加しました。ツアーの名称は
日帰りなのに2食付/若狭牛!ソースかつ丼!越前そば!小牧かまぼこ&ちくわ!福井自慢の食材うまいもんめぐりの旅
というもので、料金は1人6.960円。それに加えて1人2,000円のクーポンがもらえます。この日は平日にも関わらず46名の参加がありました。やはり全国旅行支援がまだ使えるというのが、人気の秘密なのでしょうか。
金ケ崎天満宮の垂れ幕がすべての発端
敦賀港赤レンガや金ケ崎緑地へ向かうバスの窓から、とても面白いものが見えました。
大河ドラマ『どうする家康』に関連する場所なのかな? この近くに何かあるのでしょうか? どうやらこの辺りが「金ケ崎の退き口」の舞台になった場所みたい。ちょっとインパクトがあって、心惹かれます。
40分間の自由時間で、越前国一宮である氣比神宮(けひじんぐう)の参拝と御朱印を頂いた私たちは、
帰り道でもこの前を通りました。
金ケ崎天満神社という、地元の神社のようです。特にこの神社に何かあるわけではなさそうですが、
神社の角を北東に進むと間もなく、このような看板が! 実はあちこちで「金ケ崎城跡600m」とか「金ケ崎城跡300m」という道標を見かけていたので、いよいよ城跡に近づいてきたのかなと喜びました。
ところがどう考えても300mはとっくに歩いているはずなのに、何もない。もしかしたら、あの山の上もしくは奥かな?
金ケ崎城はどこに
集合時間を気にしながら、山に向かってどんどん歩いて行くと
立派な建物がありました、一見お寺のようでしたが、金崎宮(かねがさきぐう)というれっきとした神社。
足利尊氏により都を追われ、北陸に落ち延びた新田義貞が、後醍醐天皇の2人の皇子を奉じて金ケ崎城に入城したものの、足利勢に包囲されて兵糧攻めにあい、新田義貞の嫡子・義顕(よしあき)や後醍醐天皇の皇子・尊良(たかよし)親王は将兵らとともに自害。もう1人の皇子・恒良(つねよし)親王も後に捕らえられ、毒殺されたとか。この2人の皇子を祭神として、明治に創建された神社のようです。
南北朝時代の城だったとは! でもやっぱり信長や秀吉・家康が(光秀も?)活躍する「金ケ崎の退き口」の方が有名みたい。
大河ドラマは経済効果がすごいのでしょう。観光客も増えているのかな?
もうすぐ城跡かなと期待しながら、絶対300mはおろか、600mも余裕で歩いているような気がしますが(10分ほど歩いてもいる)
なかなか城跡の石碑などが見えない! もうこれ以上奥に行くと、集合時間に遅れる! ということで(上の写真は、離れた場所から望遠で撮影)金ケ崎城跡探索はここで断念。かなり悔しい。
敦賀から世界へ! 近代日本の国際列車の賑わい伝えるランプ小屋
家康ゆかりの地は見つけられなかったけれど、偶然、旧敦賀港駅(当初は金ケ崎駅)ランプ小屋を見ることができました。
明治末~昭和初期まで、敦賀港からウラジオストクへ航海し、そこからシベリア鉄道でヨーロッパを目指すという国際列車がありました。NHK大河ドラマ『いだてん』の主人公・「マラソンの父」金栗四三(かなくりしそう)も、このルートで五輪会場のストックホルムを目指しています。
ランプ小屋は、列車の灯火に使用されるカンテラの燃料を保管する油庫として、かつては(電灯が普及するまで)主要な駅に一般的に存在したものです。そういえば確か、京都でもJR稲荷駅にレンガ造りのランプ小屋が残っていると聞いたような。
油を貯蔵するので、燃えにくいレンガが使われたのですね。
この敦賀港から、ウラジオストク、そしてヨーロッパを目指した人々は、どんな気持ちだったのかな。今は戦争のおかげで難しいけれど、いつか平和になったら、敦賀からパリ、そしてロンドンまで行ける国際列車を企画してほしいなと思いました(ロマンですね!)
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