『どうする家康』ゆかりの新城市・設楽原を歩く3  徳川家康本陣跡はあったけど物見塚はどこに?

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2022年5月5日(木)、大河ドラマ『どうする家康』でも描かれた、長篠の戦いゆかりの場所を訪れました。

徳川家康本陣跡と「日本一短い手紙」

JR飯田線の三河東郷駅から徒歩で、長篠の戦いの決戦場・設楽原(したらがはら)を訪れた後

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決戦場にあった長篠合戦図屏風で、ここから一番近くに描かれていた

徳川家康の本陣を目指すことにしました。「五」の旗や日の丸扇のそばに描かれているのが、徳川家康です。

グーグルマップで調べると、徒歩10分ほど。

途中には「歴史の見える丘」という展望公園もありました。

ここからは、決戦場や両軍の陣地などがよく見えるそうですが、先を急いでいたので通り過ぎてしまいました。

さらに進むと、例の、設楽原古戦場いろはかるたの看板。「家康が本陣ここに八剱山(やつるぎやま)」とあります。

徳川家康本陣跡の案内板もありました。

八剱神社裏手の境内の山を本陣にしたようですね。

せっかくなので、八剱神社にも参拝しました。

八剱神社に隣接する、新城(しんしろ)市立東郷中学校には、「平成の馬防柵」がフェンス代わり。

ちなみにここで、決戦の直前、家康家臣の本多重次(『どうする家康』ではまだ登場していません)が「日本一短い手紙」を書いたのだとか。「一筆啓上」で始まる手紙のことは知っていたけれど、だれがどんな状況で書いたか、初めて知りました。

家康物見塚はどこに 古墳で遭難しかける

更に歩くと、またまた設楽原古戦場いろはかるたの看板。一段高い場所には、「長篠役設楽原決戦場」の碑があります。

「日は悲し 一五七五(いちごない)ぞと武田七九(なく)」は、戦いの日・1575年7月9日(旧暦5月21日)を示しています。

そしてここが、断上山古墳。古墳を戦争で利用するというのは、よくあることなんですね。

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きっとこの古墳の上に、家康物見塚があるのだろうと思って登って行ったのですが、行けども行けどもそれらしきものはなく

「家康本陣地」という石碑は見つけたものの

ここからの見晴らしがこちらの写真。連吾川が見えない! 決戦場も見えない! こんなの、物見塚じゃない!!!

普段あまり人が通らない場所らしく(古墳の上だから当たり前)、ちゃんとした道もありません。下りも道に迷ってしまい、同じところを何度も歩く羽目に。危うく古墳で遭難しかけるところでした。

あとで調べてみると、古墳の上ではなく、麓をぐるりと回っていけばたどり着いたかもしれないと知りました(詳しくはこちらをご覧ください)。

こちらからは、ちゃんと戦場を見渡せるそうなので、ぜひ皆さんは道に迷わずたどり着いてくださいね。

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