廬山寺のある場所で生まれ育った紫式部
今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主人公は、『源氏物語』の作者として知られる紫式部。
本名(「まひろ」はドラマの中の名前)も生没年も、詳しい生涯もよくわからない謎の人物ですが、ここで生まれ育ったのではないかとされている場所はあります。
それが、廬山寺(ろざんじ)という寺院。
1965(昭和40)年に、考古学者の角田文衛(つのだぶんえい)が、ここを紫式部の邸宅跡(「平安京東郊の中河の地」)と考証しました。
現在は寺院になっていますが、平安時代には広い邸宅がありました。それが紫式部の父方の曽祖父・藤原兼輔(かねすけ)の邸宅で、鴨川の西側の堤防に接して営まれていたため「堤(つつみ)邸」と呼ばれ、中納言だった兼輔は「堤(つつみ)中納言」と呼ばれていました。
兼輔は国政に関与する中納言に就任し、従三位(じゅさんみ)の位にも上りましたが子孫は地方長官=受領(ずりょう)どまりの下級貴族に留まり、広大な堤邸内部のいくつかの建物に、子孫たちがそれぞれ暮らしていたと言われています。その中に、紫式部やその父・藤原為時もいました。
紫式部は、曽祖父が約100年前に建てた「旧い家」で育ち、夫と結婚生活を送り、一人娘の賢子(けんし)を育て、『源氏物語』を執筆しました。「旧い家」だからメンテナンスが必要なはずですが、きっと十分にはできなかったことでしょう。
やがて豊臣秀吉の時代、天皇の命でこの地に廬山寺が移転。
現在は、比叡山中興の祖・元三(がんざん)大師良源(りょうげん)を祀る元三大師堂や
平安朝風庭園の「源氏の庭」でも有名です。
空蝉や花散里の屋敷はこの辺り? 紫式部との関係は?
廬山寺の公式HPによると、『源氏物語』に登場する光源氏の妻の1人・花散里(はなちるさと)の屋敷がこの辺り(中川)として描かれているとのこと。癒し系で裁縫や染物が上手で、夕霧や玉鬘の母親代わりになる女性です。
また、同じく『源氏物語』に登場し、一度は心ならずも光源氏と関係を持つけれど、その後は身分や境遇の差を自覚して断固彼を拒み通す受領の妻・空蝉(うつせみ)の家も「中川の宿」とあります。
花散里も空蝉も美貌とは言えず、ヒロインの中では登場回数も少なくて地味な存在ですが、心映えは素晴らしい女性たち。私も大好きです(特に花散里は一押し)。花散里ファンの女性は多いのだとか。
自分の邸宅近くに彼女たちの屋敷を設定しているということは、紫式部は彼女たちのことが好き、もしくは親近感を抱いていたのかな?(中川にはもう1人、逆風真っ只中の光源氏を拒絶する元恋人=「中川の女」も出てきますが)
空蝉については、境遇や身分が似ているので(かなり年上の夫や自分と同年齢の継子がいて、夫の死後その継子に求婚される、受領階級、聡明で誇り高い)、モデルは紫式部と言われています。
そして個人的な見解だけれど、花散里(身分は上流貴族)は、紫式部の理想の女性ではなかったかな?とも思うのです。
聡明で意志が強い紫式部は、夫の心を癒せる妻ではなかった可能性が強いです。夫婦喧嘩したら、徹底的に理詰めで相手を論破しそう(和漢の書物も引用しそう)。当時の妻の才能として重視された裁縫や染物(夫の衣服は妻の手作り)が、特に上手だったとも思えません(偏見?)。美意識はあるけれど、衣服を仕立てている暇があったら、本を読んでいるイメージ。
夫が亡くなってから、結婚生活を振り返った紫式部が、あの時の自分にはできなかったけれど「こうなれたらよかったな」と思える「(自分とは真逆の)理想の妻&母親」像が花散里なのかもしれません。今でも「理想の女性像」の1つによく挙げられる「家庭的な癒し系女性」こそ、花散里だったのです。
今回の大河ドラマでは、空蝉や花散里のエピソードはどのように物語に織り込まれるのでしょうか。楽しみです。
コメントを残す