今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主要舞台の1つが、男性貴族たちの仕事の場でもあり、天皇の后妃たちや女官(女房)たちが働いたり生活したりする場である「宮中」=御所、別名内裏(だいり)です。
2023年6月下旬、通年公開されている京都御所を訪れました。
天皇の居住の場・清涼殿の庭園
前回ご紹介した京都御所の正殿である「紫宸殿(ししんでん)」は重要儀式で使用された建物ですが、次に訪れた「清涼殿(せいりょうでん)」は、天皇が日常生活を送る場所。後には天皇が、政務を取ったり儀式を行ったりする場へと変化します。
こちらも幕末に建てられた建物ですが、伝統的な寝殿造。
紫宸殿でも感じたことですが、儀式に使うため、庭が白砂で緑が少ない。紫宸殿では(上の写真)左近の桜、右近の橘ですが
清涼殿では、左奥が「漢竹(かわたけ)」、
右側にあるのが「呉竹(くれたけ)」でした。漢竹の方が、葉が大きいですね。これらは儀式の整列や、会場設営の際に、目印として欠かせないものだったようです。
天皇の御座「昼御座」
清涼殿の中にも、紫宸殿の前の写真パネルで見たのとはデザインや色が違いますが、
御帳台(みちょうだい)がありました(中央の、天井から下がっているようなカーテン)。天皇の休息の場です。
その手前、板敷きの間に畳が敷かれていますが、これが天皇の御座「昼御座(ひのおまし)」でした。畳は繧繝縁(うんげんべり)という、縁にカラフルな模様がある最高に格式が高いものです。百人一首の絵札や、雛人形でおなじみですね。
清涼殿の不思議な『荒海障子』
清涼殿の北端には、「荒海障子(あらうみのしょうじ)」と呼ばれる襖がありました。
『枕草子』にも登場している有名な障子(現代の襖)。手の長い「手長人」と足の長い「足長人」が、協力して魚を獲ろうとする絵柄です。残念ながらガラスケースの中にあるので、奥の方がよく見えないし、写真もうまく撮れませんでした。
平安時代からこの障子は何度も火災に遭いましたが、その都度同じ図柄で書き直されたのだとか。なぜこの奇妙な絵が、天皇の居所近くにあるのかな?(魔除け?) とても不思議でした。清少納言やほかの女房達も、かなり違和感を感じたようです。
寝殿造から書院造へ 御所に見る生活様式の変化
平安時代は清涼殿で天皇は暮らし、紫宸殿が儀式や政務の場でしたが、やがて清涼殿で天皇は儀式や政務を執るようになり、豊臣秀吉の時代(1580年)に、御常御殿(おつねごてん)という建物が独立して建てられると、天皇は御常御殿で暮らすようになりました。
清涼殿は平安時代風の寝殿造建築ですが、御常御殿は書院造。写真ではわかりにくいですが、清涼殿と違ってすべて畳敷きです。板の間より畳敷きの方が快適だろうし、屏風や几帳(きちょう)など、パーティションで部屋を区切るよりも、襖を開閉する方が便利そう。
御常御殿より先は男子禁制。女御や女官しか立ち入りを許されませんでした。まさに大奥。
杉戸や襖にも絵が描かれましたが、「荒海障子」のような空想上の怪物を描いたものはないようです。
小川の流れに橋を架け、庭石もある御内庭(ごないてい)。寺社や大名屋敷の庭と変わりません。紫宸殿や清涼殿の儀式用の庭よりも、ずっと親しみやすく感じられました。
天皇が暮らした御所も、平安時代から江戸時代という長い歴史の中で変化していたことを、改めて知ることができてよかったです。春か秋の特別公開にも行ってみたいな。
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