平戸訪問記8  平戸銘菓カスドース  門外不出の南蛮菓子を「按針の館」で堪能!

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「按針の館」は九州最古の老舗和菓子店だった!

2024年2月24日(土)、初めて平戸を訪れた私たちは、昼食後は平戸のまち歩き。昼食を摂った旬鮮館から、平戸港交流広場や歴史の道を歩き、オランダ商館通りへと出ました。

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イギリス商館跡から、ウィリアム・アダムス終焉の地を見てさらに進むと、

「按針(あんじん)の館」と看板のかかった建物がありました。オランダ船デ・リーフデ号のイギリス人航海士だったウィリアム・アダムスが、徳川家康に250石取の旗本として取り立てられ(今の神奈川県横須賀市北東部が領地)、家康から賜った日本名が「三浦按針」。「三浦」は彼の領地があった相模国三浦郡から、「按針」は彼の職業だった「水先案内人」の意味でした。

標識の説明書きを読むと、ここも「終焉の地」と同じく、木田弥次右衛門宅でした。距離にして大体100mくらいかな。木田弥次右衛門って、大店の大商人だったのですね。この説明書きによると、按針は在宅の際、家にイギリス国旗を掲げていたそうです。家康が許可さえ出せば、すぐに帰国したかも。きっといつまでも、故郷に帰りたかったのではないでしょうか。

そんな「按針の館」ですが、現在は老舗和菓子屋の「蔦屋」になっていました。築300年以上と言われる建物を改装したのだとか。

この「蔦屋」ですが、創業は1502(文亀2)年というから、室町時代後期(11代将軍足利義澄時代)。応仁の乱は終わったけれど、鉄砲もまだ伝来せず、織田信長もその父信秀もまだ生まれていなかった時代です。そんな古くから創業した蔦屋は、江戸時代になると平戸藩主松浦家御用菓子司を務めました。

そんな蔦屋では、平戸銘菓の「カスドース」など色々な和菓子が店内で味わえるということで、まち歩きの休憩も兼ねて入ってみました。

カスドースと牛蒡餅

私たちが注文したのは「カスドース」と「牛蒡餅(ごぼうもち)」。

「カスドース」とは平戸に伝えられた南蛮菓子の1つで、当時の日本では口にすることが少なかった鶏卵や砂糖をふんだんに使い、カステラに手を加えたもの。「カス」はカステラの先頭2文字で、「ドース」はポルトガル語の「甘い」(doce)。平戸藩では殿さまだけが食べることができる、門外不出の菓子でした。

封を開けると、鮮やかな鶏卵の黄色がまぶしい! 砂糖の粒も輝いています。とてもしっとり甘い味。滅多に砂糖を口にしなかった江戸時代には、まさに贅沢の極みでしょう。

一方「牛蒡餅」は、ゴボウが入っているわけではなく、黒砂糖とうるち米の粉で作った素朴な餅菓子。細長く作った餅を、慶弔時や茶席などで切り分けて供したのが、ゴボウに似ていることから「牛蒡餅」の名が付きました。現在では白砂糖を使った白い牛蒡餅もあります。ほのかな甘みで飽きの来ない味でした。

ちなみに「カスドース」は、蔦屋の他に「湖月堂老舗」のカスドース(皇室献上品!)を食べ比べてみたのですが、

個人的には、よりしっとりしている蔦屋の方に軍配は上がりました(あくまでも個人の感想です)。

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