ジオパークにふさわしい石の博物館へ!
2024年3月25日(月)、初めて新潟県糸魚川(いといがわ)市を訪れ、親不知(おやしらず)海岸でヒスイ探しに挑戦したり、道の駅親不知ピアパークを堪能した私たちは、
再び糸魚川駅に戻り、「糸魚川ジオステーション ジオパル」を見学後、
11:55発糸魚川バスの「美山公園・博物館線」に乗って、
次の目的地・フォッサマグナミュージアムに向かいました。バスだと約10分。料金は大人片道100円という安さ!
親不知子不知(おやしらずこしらず)の難所などで東西日本の境界線になっており、ヒスイの産地としても名高い糸魚川市は、ユネスコ世界ジオパークにも認定されています。そんな糸魚川市にふさわしい、地球や日本列島の誕生をわかりやすく展示した石の博物館には、とても興味がありました。
入場料は当時500円のところ、観光案内所でクーポンを頂いたので2人で800円でした。ちなみに2024年4月から入場料が改定され、大人700円に。でもヒスイや石全般(宝石や化石も含む)、地球の歴史や地形に興味のある人なら、とても楽しめる博物館だなと思ったのでご紹介します。
糸魚川と言えばヒスイ 採集名人のコレクションは圧巻!
昨日初めて糸魚川駅に降り立ってから、色々な場所で大小さまざまな、ヒスイの原石を見てきました。
このミュージアムにも、もちろんヒスイの原石はたくさんあるのですが(早速入り口でお出迎え)
こちらは、実際に糸魚川市の海岸で採集された個人(複数)のコレクション。中には採集中に高波にさらわれ、生命を落とされた方もいるとか。ヒスイ探しの際には、くれぐれも気を付けてくださいね。
いずれも死後、遺族によって糸魚川市に寄贈されたヒスイです。今回初めてヒスイ探しに挑戦したけれど、全然収穫のなかった私たちにしてみれば、なぜこんなすごい石を探せるのか、不思議でいっぱいでした。
20kgを越えるヒスイや(緑だけでなく、紫がかってもいるような)
宝石屋が欲しがりそうな石も、たくさんあります。
貴重なコレクションが散逸してしまわないように、ゆかりの糸魚川市に、遺族の方々が寄贈してくださったコレクションは圧巻でした。
ヒスイ「再発見」の功労者たち
そんな糸魚川のヒスイですが、その価値が忘れ去られていた時代もあったのです。
古代には、重くて硬いためハンマーとして利用されたり、色の美しさから装飾品として珍重されたヒスイですが
奈良時代中期以降は、服飾品の好みが変わったこともあって、ヒスイは使われなくなりました。日本にヒスイの産地があることも忘れ去られていましたが、1938(昭和13)年に糸魚川でヒスイが再発見され、大学の調査の結果、国の天然記念物に指定されたのです。
その「ヒスイ再発見」の手がかりを見つけた、糸魚川出身の文人(「春よ来い」「都の西北」などの作詞者)相馬御風(ぎょふう 左)と、最初のヒスイ再発見者・伊藤栄蔵。
相馬御風は糸魚川駅前でも紹介されていた人物ですが、
日本神話に登場する奴奈川(ぬなかわ)姫の持つヒスイは、糸魚川産ではないかと考えました。その話を親戚から聞いた伊藤栄蔵が、ヒスイ探しを始めて2日目に、小滝川支流の滝壺で美しい緑色のヒスイを発見しました。
伊藤栄蔵がヒスイ再発見の時に使っていたハンマーや、当時の聞き書きなども展示されています。もしヒスイが再発見されていなかったら、糸魚川がヒスイの町として有名になることも、私たちが親不知海岸でヒスイを探し回ることもなかったのだと思うと、すごい功績だなと思いました。
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