清和源氏の人々と『光る君へ』の世界  藤原道長の側室・源明子の父を失脚させた源満仲

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源満仲が摂津国多田荘に移住した理由

2024年5月26日(日)、前から気になっていた、兵庫県川西市の多田神社を訪れることができました。

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都で暮らしていた源(多田)満仲が摂津国多田荘に移住し、多田院(多田神社の前身となる寺院)を建立したり武士団を組織したのは、武装集団に都の自邸を襲撃・放火されたのが原因(下の満仲の肖像画は、多田神社パンフレットより)。

実は満仲は、都で他の武士たちに嫉妬されていたのです。そのきっかけとなったのは、教科書でもおなじみの「安和(あんな)の変」(969年)と言われる事件。

村上天皇の死後、冷泉天皇が即位しますが、皇太子候補となったのが、天皇の同母弟である為平親王と守平親王。そして皇太子になったのは、年少の守平親王でした。

実は為平親王の妃の父は、醍醐天皇の第十皇子で臣籍降下し、左大臣の要職にあった「源高明(みなもとのたかあきら)」。もし為平親王が皇太子となり、天皇に即位すれば、妃の父である源高明の権力がますます高まります。しかし高明は、彼を信任していた村上天皇を亡くし、宮中で孤立しつつありました。

969年、源満仲らが橘繁延と源連の謀反を密告。関係者も逮捕・訊問され、左大臣源高明が謀反に加担していたとして、大宰府への左遷(実質は流罪)が決定しました。これが「安和の変」です。先日『光る君へ』で放映された、藤原道長の甥で中宮定子の兄・藤原伊周(これちか)が大宰府へ左遷される状況と、少し似ていますね。

「安和の変」の影響

源高明が左遷された後の朝廷では、後任の左大臣に藤原師尹(もろただ 藤原兼家の叔父)が就任。またこの事件以後、摂政関白が常に置かれるようになりました。そして摂政関白の座を巡り、藤原氏は一族内で対立を繰り返すことになります。

源高明は、事件の2年後に罪を許されて都に帰りますが、政界には復帰せず、京都郊外でひっそりと晩年を過ごしました。この時期に誕生した末娘が、『光る君へ』に登場する藤原道長第二の妻・源明子です。

一方源満仲ら密告者はこの事件後に昇進。特に源満仲は藤原摂関家に仕えて、各国の受領(ずりょう=現地に赴く国司)を歴任し、莫大な富を築いたのです。そして満仲の子孫たち「清和源氏」と藤原摂関家の関係は、この後も長く続きました。

『光る君へ』に登場する源明子は、父の仇として道長の父・藤原兼家を呪詛していましたが(彼の関与を主張する説もある)、やはり第一に呪詛すべきなのは、源満仲ではないかなと思ってしまいます。

「花山天皇の出家」事件でも活躍した満仲

歴史の教科書で、「安和の変の密告者」として名を残している源満仲。実はもう1つ、ダークな活躍をしている場面がありました。

それが『光る君へ』でも印象的に描かれた、花山天皇の出家(寛和の変)。天皇をだまして御所から連れ出した、あの藤原道兼(道長の次兄)を警護したのは満仲一族だったようです。花山天皇がもし途中で心変わりでもしたら、力づくで阻止して山科の寺へ連れていく段取りだったのでしょうか。でもドラマでは、「源満仲」という役名はなかったように思います。あまり登場人物をたくさん出すと、視聴者が混乱するからかな?

とにかく「戦争」より「政争」の方で活躍した印象が強い源満仲。

JR川西池田駅近くにある、彼の銅像の顔を、多田神社参詣の帰りに初めて近くまで行って見たのですが、まるで端午の節句の五月人形のような、とてもかわいい顔をしていました。だけどやっていることはなかなか。

彼の2人の子(ともに多田神社の祭神)の源頼光(大江山の鬼退治で有名。実際は各国の受領を歴任し、その富を藤原兼家や道長に惜しげもなく貢いで要職を得ていた)や

その弟の頼信(東国で起こった平忠常の乱を平定し、清和源氏の東国進出のきっかけとなる)もとても有名なのですが、『光る君へ』には登場するかな?(肖像画はいずれも、多田神社パンフレットより)

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