『光る君へ』ゆかりの京都巡り15  高辻富小路と四条万里小路の辻 地図で見るまひろの行動  

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NHK大河ドラマ『光る君へ』には、フィクションの部分もたくさん登場します。でも、ドラマの中で具体的な地名が出てくると、興味関心が出てくるもの。

今回は、そんな創作部分の地名に注目してみました。

まひろが和歌を代作していた絵師の家

最初にご紹介するのは、まひろのバイト先(!)和歌を代筆していた絵師の家です。高辻富小路(たかつじとみのこうじ)にあると紹介されていましたね。

現在も「高辻富小路」という地名は存在し、ざっくり説明すると四条と五條の間、阪急京都線の駅では、烏丸(からすま)駅と河原町駅のほぼ中間にあたります。ただ、現在の「富小路通」は平安京の富小路通ではなく、豊臣秀吉が京都大改造(天正の地割)を行った際に新しく開いた道。

その1本東隣りの道・麩屋町通(ふやちょうどおり)が、平安時代の「富小路通」でした。禅宗と共に麩の製法が伝来すると、麩や豆腐を扱う職人が多く住み、「麩屋町通り」という名前になったとか。

現在の富小路通や麩屋町通りには、ホテルや飲食店も多く、その中の1軒を以前利用したことがあるのですが

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どうやらこのホテルは、閉業したようです。コロナ禍をうまく乗り切れなかったのかな。

ところでドラマの中で、まひろこと紫式部が、自宅(現在の廬山寺として計測)と絵師の家を徒歩で通っていたとすると、片道40分くらいです。女性の足でも十分歩けそうですね。

散楽が上演される、四条万里小路の辻

ドラマの中で、成長したまひろと藤原道長が偶然再会する、散楽が上演される辻(道が交差するところ)は四条万里小路(までのこうじ)。

現在は万里小路という名前ではなく、柳馬場通(やなぎのばんばどおり)になっています。豊臣秀吉がこの道と二条通の交差点付近に、日本一の遊郭「二条柳町」と美しい柳並木を作りました。遊郭が六角に移転した1604年、豊国神社(祭神は亡き秀吉)臨時祭礼として、遊郭の跡地で盛大な馬揃えを行ったことから、通りの名の由来となりました。

この辺りは現在でも、京都最大の繁華街・四条通の中心部。錦市場にも近く、国内外の観光客で大にぎわいです。偶然にも、私たちが昨年末利用したホテルがある場所でした。

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四条万里小路の辻と、まひろの自宅の位置関係は

こんな感じ。やはり徒歩40分ほどです。

まひろは寄り道が大好き

ちなみに、まひろが絵師の家からまっすぐ家に帰ろうとすると、散楽を見ることはできません。

鴨川の近くに自宅はあるのに、わざわざ反対方向(西)に少し歩かないと、四条万里小路の辻には行けないのです。この場合は距離にして、徒歩10分くらいなので、たいしたことはないのでしょう。

でも、左大臣家の土御門(つちみかど)邸で開催される、源倫子主催の和歌の会の帰りでも、三郎に会いたくて散楽を見に行ってますね。まひろの家から土御門邸までは、とても近いのに(上の地図)

そこからまた30分ほど歩いて、四条通まで南下しています。これはちょっと時間がかかりすぎますね。まひろの家では皆が心配しているのも、とてもよくわかりました。それにしても、和歌の会(=女子会)に集う他の姫たちは絶対牛車だと思うのだけど、1人徒歩移動するまひろって、やはり他の姫たちから見たら場違いもはなはだしいでしょう。

「告白」の場所は河原院?

これはあくまでも私の想像なのですが、『光る君へ』第5話で、まひろと道長が話をする場所として、散楽集団の1人(謎の男)直秀が案内したのは、河原院という建物ではないかなと思いました。

散楽が上演される四条万里小路から南にある、嵯峨天皇の第12皇子・源融(みなもとのとおる)の広大な邸宅で、紫式部や道長の時代にはすでに荒廃していたようです。

『源氏物語』では、光源氏と夕顔が一夜を過ごした場所(そして夕顔が物の怪に取り殺される)となった場所のモデルとも言われています。またかつて栄華を誇った広大な邸宅は、光源氏が邸宅とする六条院のモデルの1つとする説も。現在、跡地の一部が東本願寺の庭園・渉成園(しょうせいえん)となっています。

もしここで会っていたら、廬山寺まで徒歩50分ほど。当時の都はとても治安が悪く、いくら直秀がついていても、若い女性が長時間歩く場所ではありません。せめて道長が馬に乗せて送ってあげればよかったのにと、つくづく思いました(「帰るのかよ」)。

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