敦賀赤レンガ倉庫横に展示されていた、貴重な車両
2024年7月14日(日)、敦賀駅西口から敦賀駅前商店街経由で氣比(けひ)神宮へ向かい、参拝を終えた私たちは
次の目的地である、敦賀港の「敦賀赤レンガ倉庫」に向かいました。
ここは以前、バスツアーで訪れた場所ですが、私たちは赤レンガ倉庫を見学せずに氣比神宮の御朱印をもらいに行ったり金ケ崎方面へ行ったため、外観しか見ていない場所です。
雨が一向に止まず、とりあえず赤レンガ倉庫の中で雨宿りをしながら、内部見学しようと思っていたら
ちょうど昼食時だったこともあり、中はかなりの人で混んでいました。
仕方がないので雨宿りは諦め(何気なく、恐竜博士がいたのにもびっくり)
建物の横に展示されている「急行わかさ」(キハ28 3019)の車両を見学。敦賀と京都府の東舞鶴駅を結ぶ小浜(おばま)線を走っていました。
「パノラミックウィンドウ」と「排障器」の2つの特徴を持ち、完全な形で国内で現存しているのは、この車両のみだとか。
とても貴重な車両を見ることができました!
黒田清隆が揮毫した葉原トンネルの扁額
キハ28 3019の横には、何やら難しい漢字が刻まれた、大きな横長の石がありました。
解説板によると、これは1896(明治29)年に竣工した旧北陸本線の葉原(はばら)トンネルの出入り口に掲げられていた扁額(へんがく=高い位置に掲出される額)。
葉原トンネルは、木ノ芽峠越えの難所に差し掛かる最初のトンネルで、「旧北陸線トンネル群」の中では、山中トンネルに次いで2番目の長さ(979m)だそう。
古い重要なトンネル(隧道)には扁額が掲げられ、隧道の名称ではなく、隧道への想いや期待が込められた熟語が飾られることもあるというのは、琵琶湖疎水のトンネルの扁額(揮毫したのは伊藤博文はじめ、大物政治家多数)の話を何かで読んで知っていたのですが、この扁額もなかなかでした。
揮毫したのは、総理大臣の経験もあり、当時逓信(ていしん)大臣(郵便・通信・運輸を管轄)だった薩摩の大物政治家・黒田清隆です。
左側の北口に掲げられていた「永世無窮(えいせいむきゅう)」は、いつまでも末永く、鉄道が人々の役に立つことを願うという意味なので、これはいいとして(そもそも篆書体が読めない!)
南口(右側)の「與國咸休(よこくかんきゅう)」は、同盟国がすべて繫栄するという意味でした。同盟国ってどこ? この頃三国干渉があったのですが、その風潮も反映しているのかな?
なおこの扁額は複製で、実物は長浜鉄道スクエアに展示されているとのこと。気宇壮大な四文字熟語の扁額を見ていると、鉄道を開通させて国家を発展させようとした、当時の時代の雰囲気がわかりますね。
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