涼しい商店街で、お寺参りができる!
2024年8月11日(日)、京都を訪れる機会がありました。
炎天下の寺社巡りは辛いなと思っていたら、ちょうど大河ドラマ『光る君へ』に登場した和泉式部が話題になっており、彼女のお墓が新京極の寺院にあると紹介されていた(別番組で)のを思い出したのです。
新京極の商店街にあるのなら、きっとアーケードやお店からの冷気で涼しいはず! 目的地は、和泉式部のお墓のある誠心院で決定しました。
偶然見かけた、染殿地蔵院
四条通から新京極商店街に入るとすぐ、細い道の奥にお堂がある気配。
今まで何度も、この商店街を通っていたはずなのに、店に気を取られていたのでしょうか。今まで全く意識していませんでした。
ここは「染殿院(染殿地蔵院)」という小さなお堂(正式な入口は四条通)。説明板によると平安時代、文徳天皇の御息所(のち女御)・藤原明子がこの地蔵尊(秘仏)に祈願して、無事に清和天皇を出産。
彼女は実家の名称から「染殿后(そめどののきさき)」と呼ばれたので、安産祈願にご利益のある「染殿地蔵院」と称されました。『光る君へ』の時代の、150年ほど前の話です。
染殿后を襲う物の怪と鬼 夏の単衣は危険すぎる
『光る君へ』では、一条天皇中宮・定子へのマタニティーハラスメント「皇子を産め!」が強烈でしたが、150年前の藤原明子も、なかなか大変そうな後宮生活を送ったようです。
明子が清和天皇となる惟仁(これひと)親王を出産した時には、文徳天皇には既に3人の皇子がいて、特に長男(母は更衣の紀静子)を可愛がっていたとか。しかし結局、天皇は明子の父である右大臣・藤原良房の圧力に屈し、生後8か月で惟仁親王が皇太子になりました。
明子は大変な美貌の持ち主で、清和天皇が即位すると皇太后となります。しかしその翌年から、「物の怪の病」に悩まされるのです。
『今昔物語』には、彼女の治療のため招かれた聖人が、風のいたずらで、夏の単衣1枚だった(スケスケなので裸の上半身丸見え)后の姿を見てしまう話があります。身分の高い女性は、暑い夏には、『光る君へ』ではとても放映できない服装をしていました(危険すぎ)。
愛欲に悩んだ聖人は、死んで鬼となることを決意。鬼となって后に取り憑き想いを遂げ(后は恋人のようにふるまった)、天皇や文武百官が見ている前でも、后と交わったそうです。なかなかすごい話ですね。というか、文徳天皇の力がなさすぎ!
後宮で頂点を極めても、鬼や物の怪が襲ってくる。物の怪の背後には、政争で敗れた人たちの怨念も存在したでしょう。男女とも、平安時代の宮廷社会で生き抜くのは大変そうです。
お供えがピーマン その理由は
地蔵尊にお参りした時、整然と並んだお供えが、お茶とピーマンなのに気が付きました。
同じような形の、きれいに整ったピーマンなのですが、なぜピーマンなんだろう? お寺のお供えというと、日本の伝統的な野菜(胡瓜や茄子など)をイメージしていたのですが、西洋野菜のピーマンがお供えになっているのは(しかも大量に)初めて見ました。ピーマンは丈夫で、虫がつかないからかな?
御朱印(300円)を頂いた時に尋ねたところ、同じ質問をする人が多いらしく「ピーマンの中にはたくさん種があるから、子宝に恵まれる」と解釈される人もいるのだとか。でもお寺の方では、特に意味はないそうです。ピーマンのお供えは以前からされているそうで、やがて新たな解釈や伝説が生まれるかもしれませんね。
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