誓願寺の立派な門 傍らの石柱は、京都特集番組の常連?
20242024年8月11日(日)、京都を訪れる機会がありました。今回の目的は、新京極商店街にあるという、和泉式部のお墓詣りなのですが、実際に商店街を訪れてみると、私たちの気づかなかった小さなお寺や神社がたくさんあるのが面白く、あちこち巡ることになりました。
清和天皇の生母・藤原明子が祈願したという染殿地蔵院や蛸薬師堂(永福寺)を訪れ、和泉式部のお墓のある誠心院(和泉式部寺)を訪れた後
商店街をもう少し北上してみました。
新京極六角公園(愛称「ろっくんプラザ」)には、涼しげな流れがあり
七夕祭りの名残も残っていたのですが
そのすぐ向かいに、大きくて立派な寺院の門があったのです。これが誓願寺で、浄土宗西山(せいざん)深草派の総本山。立派な寺院だったわけです。
ところで、門の左側にある石柱なのですが、どこかで見たような気がしてなりません。調べてみると、この石柱の正面に書かれているのは「迷子みちしるべ」。石柱右側には「教しゆる方」。写真では見えませんが左側には「さがす方」と彫ってあるそうです。迷子や落とし物を探す人は左側に、見つけた人は右側に、情報を紙に書いて貼りました。江戸末期~明治中期に、各地の寺社や盛り場に建てられたそうです(別名「奇縁氷人石」)。
私が見たのは『あなたの知らない京都旅』だったのですが、『ブラタモリ』でも紹介されていたようだし、他でもあちこち紹介されているかもしれません。知る人ぞ知る、誓願寺の名所だったのでした。
女人往生と誓願寺
先ほど訪れた誠心院の初代住職・和泉式部とこの寺院とは、深いつながりがあったのです。
娘に先立たれ、この世の無常を感じて極楽往生を願う和泉式部は、石清水八幡宮に参拝し、一切衆生を極楽へ導く誓願寺の阿弥陀如来に祈るように、という夢のお告げを得ました。
誓願寺で48日参籠(おこもり)した彼女は、「南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば、女の身でも極楽往生できる(古来仏教では、女性は成仏することが非常に難しいとされていました)」という夢のお告げを得、出家して誠心院に籠り、誓願寺にも日参し、見事に往生を遂げたとか。
清少納言も誓願寺本堂のそばに庵を結び、ここで出家して往生を遂げたと言います。昔は、西陣織会館のあたりに寺があったようですね。
松の丸殿と誓願寺
豊臣秀吉による京都大改造で、誓願寺も現在の場所に移されます。秀吉側室で絶世の美女だった松の丸殿(京極竜子)や実家の京極家が広大な寺領を寄進し、一時荒廃した寺を、立派に再興。
秀吉が亡くなると彼女は誓願寺で閑居し、豊臣家滅亡後わずか8歳で処刑された秀頼の子・国松が処刑されるとその亡骸を引き取り、誓願寺で供養したとか。武家の習いとはいえ、幼い国松の処刑を、阿弥陀如来も痛ましく思っていたでしょう。
本堂には阿弥陀如来の他、一言で願いをかなえてくださる「一言観音」(十一面観音)も安置されています。
御朱印(500円)には「和泉式部」の文字。こちらもたくさん御朱印の種類がありましたが、一番オーソドックスなものにしました。
新京極商店街の公式サイトによると、商店街には8つの社寺があり、「京都新京極御朱印めぐり」オリジナル御朱印帳もあるのだとか。西光寺・安養寺・善長寺にもいつか行けたらいいな。
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