弥勒堂と日本武尊像
2024年8月17日(土)、初めて岐阜県と滋賀県の境目にある伊吹山に登りました(と言っても、9合目までは伊吹山登山バスを利用)。
標高1,377mの山頂にある伊吹山寺(いぶきさんじ)は前回ご紹介しましたが、伊吹山は密教や修験道の修行の場として、明治になるまで多くの寺院が建っていたそうです。
今は伊吹山寺の他は、この弥勒堂を残すのみ。ここが伊吹山修験道の中心的な堂舎でした。
かつては多くの石塔や石仏が祀られていたそうです。ちなみに今ある石室や石仏は、1912(大正元)年に建立されたもの。
そしてこの弥勒堂の近くにあるのが、伊吹山山頂にあるものの中でも、多分一番有名な、日本武尊(やまとたけるのみこと)像。
この石像も、1912(大正元)年に建立されたもの。以前バスツアーで見た日本武尊像は、もう少しスマートでカッコよかったのですが(下の写真)
この石像はもっと素朴な感じがしました。伊吹山山頂までは、有志が担いで頂上まで運び上げたそうです。
日本武尊を倒した伊吹山の神
ところで、なぜ伊吹山山頂に日本武尊像があるのかというと、日本武尊は霊剣・草薙剣(くさなぎのつるぎ)を持たず、素手で伊吹山の荒ぶる(服従しない)神を倒しに行き、牛ほどの大きさの白猪(伊吹山の神)を神の使者だと勘違いして無視したため、伊吹山の神に大氷雨を降らされ、それが原因となって病になり、亡くなったからです。いわば「英雄受難の地」なのですが、どうして剣を持たず、素手で山に登ったのか謎です。連戦連勝で、油断していたのかな?
日本武尊を倒した伊吹山の神(最恐?)の像はないのかなと思ったら、伊吹山寺の横で、祀られているような白猪を発見! 早速お参りしました。
山頂の土産物兼カフェの前にも、猪の像がありました。こちらはマスコット的な猪かな?
「伊吹山」で連想するもの
ただ、日本武尊や白猪を伊吹山と結びつける人は、どれくらいいるのかな? 私は「伊吹山」と聞くとまず連想するのが、百人一首だったり
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薬草やよもぎ、そして吉川英治作『宮本武蔵』の序盤の舞台かな。魅力的な朱実さんが懐かしい。
よもぎ餅を購入して、山頂で食べたけれど、やはり本場と思うせいか美味しいです。
売店の近くには、荷物運搬用のモノレールもありました。色々な商品は、これで運ばれてくるのかな?
鹿が山を荒らしている?!
山頂には、何軒か土産物屋や山小屋があるのですが、その中の「えびすや」という店が
高山植物を守るために、鹿柵を作っていました。伊吹山の貴重な高山植物が近年激減しており、原因は地球温暖化や高山植物の盗掘などもあるのですが、鹿による食害が大変深刻だそうです。
柵を作ったことで、眺めは悪くなったけれど、花は徐々に戻ってきたようで、ここでもシモツケソウを見ることができました。
ピンボケになってしまったけれど、この紫の花は何だろう?
本当に鹿の害は大きいのかな?と、伊吹山に登る前は半信半疑だったのですが、9合目駐車場から西登山道に入ると早速鹿の匂いがしたし、その後も時折、風に乗って鹿の匂いがしたのです。
そしてついに、下山中に鹿を発見! 見えにくいですが、写真中央の茶色い物体です。かなりの斜面なのに、悠然と草を食べていました。
美しい伊吹山を取り戻すために、米原市も取り組みを強めています(上は米原駅構内で見たポスター)。ただ、伊吹山の自然が、人間の思うようになってくれるかどうか。日本武尊の時代とまた違う、荒ぶる伊吹山の神は、私たちの願いを聞いてくれるでしょうか。
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