歩いてわかった石垣の美しさ
2024年9月28日(土)、金沢旅行2日目に金沢21世紀美術館を見学した私たちは、
長女の好きなカフェに行くため、4月にも行ったひがし茶屋街に行くことにしました。
4月にはこの距離を路線バスで移動したのですが、バスがなかなか来なかったうえに、観光客で大混雑だったため、長女は歩くと主張。私と夫の2人だけなら絶対バスに乗っていると思うのですが、今回は歩いてみることにしました。
今回私たちが歩いたのは、路線バスでも通った?「お堀通り」。歩いてみると、バスで通り過ぎるだけではわからなかった(大体混雑しているから、車窓もほとんど見えなかった)金沢城のすごさに出逢うことができました。
とにかく規模が大きい!
そして石垣が美しい! 「鉄壁の防御!」という感じの石垣カーブではないけれど、石の配色がアートですね!
この辺りは「いもり堀」と呼ばれる、金沢城の南西側を囲む外堀。そのいもり堀の、南東の端に築かれた石垣が、この「鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)石垣」でした。「鯉の喉」という一風変わった名前の由来も不明だし、そもそもここには、櫓は建っていなかったようです。謎ですね。
明治になると、いもり堀は旧陸軍により埋め立てられ、石垣も地上から姿を消しましたが、2010年に堀や石垣が復元されました(説明板にある写真は、石垣発掘作業の様子)。
江戸時代後期の加賀藩石垣技術者、後藤彦三郎が「城内随一の石垣」と賞賛したのも納得の、赤い戸室石(とむろいし)の石垣。絵図によると、堀底からの高さは、14.4mだったとか。
最近になって、お城の魅力の1つが石垣だなと思えるようになったのですが、金沢城はまさに、石垣を十分堪能できるなと思えました。
石川門と百閒堀
更に歩いて行くと、石垣の上に塀や櫓などが建ち並び、立派な門も見えてきました。
後で知ったのですが、これが金沢城の東側にある「石川門」。
そしてこの橋が、金沢城公園(左)と兼六園(右)を結んでいる「石川橋」。
昔はこの道路は、百閒堀(ひゃっけんぼり)という大きな堀だったのですが、明治になって堀が埋め立てられて広い道路ができました。この立派な橋は、1911(明治44)年にできた橋のデザインをそのままに、平成になって架け替えられたもの。
これは兼六園側にある「皇太子殿下御結婚奉祝記念碑」。1923(大正13)年の、当時の皇太子(昭和天皇)の結婚を記念した石碑ですが、ずいぶん立派で歴史を感じました。
前田利家公の銅像も!
更に歩くと見えてきたのが、鎧兜に身を固めた、立派な武将。
これぞ加賀藩祖・前田利家公なのでした。彼の銅像は、利家とまつ夫妻を祀る尾山(おやま)神社でも見たのですが
こちらは騎馬像ではなく、立像でした。
お顔立ちも良く見えて、鯰尾(なまずお)の兜も特徴的。今回まつ夫人には会えなかったけれど、藩祖・前田利家公に会うことができてラッキーでした。
コメントを残す