松平定信の下屋敷跡は、築地市場跡地だった
2025年1月5日からスタートしたNHK大河ドラマ『べらぼう』は、主人公の蔦屋重三郎を中心に、江戸中期の様々な人物が登場します。昨年6月8日(土)に東京に行く機会があったので、ドラマに登場する人物ゆかりの地を巡ってみることにしました。
日本橋通油町(とおりあぶらちょう)にあった、蔦屋耕書堂跡を訪れた後、
最寄り駅の小伝馬町駅から、地下鉄日比谷線の築地駅へ。次の目的地は、寛政の改革で蔦屋重三郎を弾圧することになる、老中松平定信(今はまだ少年時代で、寺田心さん演じる田安賢丸として登場)の下屋敷跡。彼が整備した庭園・浴恩園は、天下の名庭園として知られていたそうです。
でも実はこの辺り、築地市場の跡地(中央区)なのです。今は建築工事の真っ最中。都指定文化財旧跡になっているからには、石碑や案内板の1つや2つあるだろうと思っていたのですが、

いくら探しても見つかりませんでした。工事前には、築地市場のどこかにあったのかな?

唯一発見できた史跡らしいものは、このプレート。1954(昭和29)年、太平洋・ビキニ環礁でアメリカが実施した水爆実験で、日本の複数のマグロ漁船が巻き込まれ、被爆した第五福竜丸の乗組員が亡くなるという事件がありました。
第五福竜丸から水揚げされたマグロや鮫は、消費者の手に渡ることなく、この築地市場の一角に埋められ廃棄されたのです。本来ならここに「マグロ塚」が設立されるはずだったのですが、工事などがあるためか、東京都の許可が下りていないそうです。忘れてはならない、大切な歴史だと思うのですが。
あの長谷川平蔵が提案! 石川島人足寄場とは
仕方がないので次の目的地、中央区の佃公園へと向かいました。築地駅から少し離れた有楽町線新富町(しんとみちょう)駅から、隣の月島駅まで地下鉄に乗り、月島駅から歩きました。
佃公園に向かったのは、ここに「石川島人足寄場(にんそくよせば)跡」があったから。

あの「鬼平」こと火付盗賊改の長谷川平蔵(『べらぼう』に登場する若き日の長谷川平蔵は、SNSでは「カモ平」と呼ばれています。粋な服装で吉原に通い、亡き父が貯めた金を使い果たしたのは事実)が、松平定信に上申して造らせた犯罪予防施設。
治安対策のために、地元を追放された無宿人や浮浪者を石川島(佃島の北部)に集め、職業訓練を行っていました。こういう施設は大坂や函館、筑波郡上郷村にも設置されたとか(知らなかった!)。
現代の刑務所と同様に、収容者には労働に対する手当があり、わかりやすい道徳教育も行われていました。明治になると石川島徒場、石川島監獄署となり、後に移転して巣鴨監獄、巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)、更に移転して府中刑務所となるのです。

幕末には、寄場人足たちの手で、隅田川河口や品川沖を航行する船の安全を守る常夜灯(灯台)が築かれました。これは灯台を復元したモニュメントで、公衆トイレになっています。
佃公園は、都会の中にある静かなオアシス。

隅田川と、超高層ビル群の対比がすごい! ひときわ目立つツインタワーは、聖路加ガーデンにある聖路加タワー。幕末風の灯台があるかと思えば、超高層ビルもあり、歴史と未来を感じられる石川島でした。
コメントを残す