『べらぼう』ゆかりの地+αの旅6  吉良邸跡と葛飾北斎の意外な関係

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偶然見つけた吉良邸跡

2025年1月5日からスタートしたNHK大河ドラマ『べらぼう』は、主人公の蔦屋重三郎を中心に、江戸中期の様々な人物が登場します。昨年6月8日(土)に東京に行く機会があったので、ドラマに登場する人物ゆかりの地とその周辺を巡ってみることにしました。

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次の目的地は両国の回向院(えこういん)。私たち夫婦は、てっきり地下鉄大江戸線で、清澄白河(きよすみしらかわ)駅から両国駅まで移動するのかと思っていたら、2駅なので歩けると長女が主張し、歩くことになりました。徒歩で大体30分くらいです。

その途中、偶然見つけたのが、この建物。

幟(のぼり)がはためき、豪商の蔵などによく見られるなまこ壁や石碑があります。これは一体なんだろう?と近づいてみると

ここは、赤穂浪士討ち入りの舞台になった、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の上屋敷跡。

今は「本所松坂町公園」という史跡公園です。

1934(昭和9)年、地元の有志が発起人となり、土地を購入して当時の東京市に寄付し、貴重な旧跡が維持されました。印象的な外壁は、足利将軍家の血を引き幕府儀式を司る高家(こうけ)の役職にあった吉良家の格式にふさわしい、なまこ壁長屋門を模したもの。

今は割と小さな公園なのですが、現在「旧吉良邸跡」として残るのは、当時の1/86に過ぎないのだとか。この86倍の敷地から、吉良上野介を探すのですから、赤穂浪士も47人いるとはいえ、さぞ大変だったことでしょう。

討ち入りを偲ばせる邸内

公園内には、「吉良公御首級(みしるし)洗い井戸」や

主君のために赤穂浪士と戦い、亡くなった吉良家家臣の石碑(吉良家家臣二十士碑)があり

討ち入りの凄惨な様子が想像できます(下は討ち入り後、隊伍を整え泉岳寺へ向かう赤穂浪士)。

そういえば、現在大河ドラマ『べらぼう』で、まるで村山富市さんのような容貌の老中首座・松平武元(たけちか)役の石坂浩二さんですが、昔『元禄繚乱』では、吉良上野介役だったことを思い出しました。石坂浩二さんって、大河ドラマの常連ですね。

吉良上野介の座像もありました。どこかで見た像だなと思ったら、彼の領地だった愛知県西尾市吉良町の華蔵寺(げぞうじ)にある座像(吉良上野介が50歳の時に造らせた像)を基に制作されたそう。優しそうな顔で、領内では「名君」として慕われていたそうです。あまり意地悪そうな感じには見えません。

松平定信にしても、吉良上野介にしても、田沼意次にしても、見方が変わると、全くイメージが変わります。

吉良邸とお稲荷さんと葛飾北斎

邸内には松坂稲荷神社が祀られていますが(吉良上野介も合祀されている)

吉良邸跡の向かいにも、飯澄稲荷神社があります。

本所松坂町と吉良邸の屋敷神・地域神らしいのですが、東京って、本当にお稲荷さんが多い!

飯澄稲荷神社の近くに案内板らしきものがあったので、神社の解説かと思い読んでみると、一時葛飾北斎(当時は「時太郎」)を養子にしていた、幕府御用達の鏡師・中島伊勢の住居跡がこの辺りだったのだとか。

大河ドラマ『べらぼう』にも、多分若い頃の北斎が登場すると思うのですが(蔦屋重三郎も時々仕事を発注)、北斎の父は鏡師中島伊勢、そして母方の祖父が、赤穂浪士と戦って討ち死にした吉良家家老・小林平八郎という説もあるらしいのです。なかなか意外ですね。

近くには、吉良まんじゅうの看板もありました。先を急ぐため、今回店には立ち寄りませんでしたが、どんなおまんじゅうか、様子を見てみたかったな。

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