今は公園になった山谷堀
2025年1月5日からスタートしたNHK大河ドラマ『べらぼう』は、主人公の蔦屋重三郎を中心に、江戸中期の様々な人物が登場します。昨年6月8日(土)に東京に行く機会があったので、ドラマに登場する人物ゆかりの地とその周辺を巡ってみることにしました。
東浅草にある日蓮宗の正法寺で、蔦屋重三郎の墓参りをした私たちの次の目的地は、
彼が生まれ育った吉原。彼が初めて「耕書堂」という自分の書店を出した場所や、見返り柳や、吉原の大門(おおもん)跡を見てみたいなと思ったのです。
大門跡までは徒歩で15分ほど。正法寺の涼しい室内で少し休憩し、冷水も補給して元気回復した私たちは、再び歩き始めました。

歩いている時に、見つけたのがこの石碑。山谷堀(さんやぼり)橋と書かれています。
「山谷堀」というのは、江戸時代に隅田川の氾濫を防ぐため、三ノ輪(みのわ)から今戸(いまど)まで掘られた堀。隅田川から山谷堀を通って吉原大門近くまで、猪牙舟(ちょきぶね)という小舟が行き来していました。

猪牙舟での吉原通いは、陸路よりも優雅で「粋」とされたそう。

今は堀は埋め立てられて、きれいな公園になっています。
ちなみにもう少し北へ進むと、『あしたのジョー』の舞台となった泪橋(なみだばし)もあるのですが、今回は時間の関係で行けませんでした。泪橋は、かつて江戸の境界だったのだとか。
吉原大門と五十間道 蔦屋耕書堂1号店はどこに
さらに進むと「新吉原」の解説板がありました。

「新」が付くのは、元々「吉原」は日本橋にあったのですが、明暦の大火後に、吉原遊郭はまだ農村地帯だったこの場所に移転しました。江戸の中心部である日本橋に遊郭があるのは、風紀を乱すので良くないとされたのでしょう。

吉原の唯一の門である「大門(おおもん)」は、今は交差点の地名に名前を残すのみ。

遊郭で遊んだ客が、名残を惜しんで振り返った場所にあった「見返り柳」(6代目)。現在は大門交差点にありますが、昔は山谷堀脇の土手にあり、区画整理などでここに移されました。

山谷堀方面から大門へと続く道は、五十間道と呼ばれます。街道から吉原遊郭が見えないようにと、道は不自然なSカーブを描いています。事故が起こりそうで怖い。

この五十間道で蔦屋重三郎は、義兄が営む「蔦屋次郎兵衛店(引手茶屋)」の軒先を借りて、「耕書堂」という書店を開業。やがてその4件隣で独立の書店を営むようになります。現代風に言えば、蔦屋耕書堂吉原1号店でしょうか(後に日本橋に構えた店は、2号店です)。
重三郎が最初に店を構えたのは、一体どの辺りなのかな。
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