進化した山の辺の道を行くその7  人麻呂の歌碑と崇神天皇陵

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柿本人麻呂の哀切な歌碑

2025年4月29日(火)、久しぶりに日本最古の道・山の辺の道を歩く機会がありました。ルートを少し外れた「大和(おおやまと)神社」にも立ち寄り、再びメインルートに戻って中山大塚古墳や大和神社御旅所を見学した後

進化した山の辺の道を行くその6  中山大塚古墳と大和稚宮神社・歯定神社

2025年5月13日

進化した山の辺の道を行くその5  旅の安全を祈願した大和神社 戦艦「大和」展示室もあり

2025年5月12日

また柿本人麻呂の歌碑に出逢いました。先ほど見た歌碑は雄大な自然の情景を詠んでいたのですが

進化した山の辺の道を行くその4  竹ノ内集落から大和神社参道へ

2025年5月11日

今度の歌碑は、妻の弔いを詠んだ、なかなか哀切な歌。

「衾道(ふすまぢ)を引手(ひきて)の山に妹(いも)を置きて 山路を行けば生けりともなし」(引手の山=龍王山に妻の屍を葬っておいて、山路を帰ってくると、恋しくて生きた心地もしない」 背後の山が龍王山かな?

その龍王山山麓にある長岳寺。ここは2年前の秋にバスツアーで拝観したので、今回はパスして先を急ぎます。

阪急交通社バスツアーで行く秋の奈良5  「大地獄絵」と「逆さ紅葉」が美しかった長岳寺

2023年12月4日

崇神天皇陵の堤を歩く

長岳寺を過ぎると、目の前に大きな墳丘。

これは巨大な前方後円墳の一部では? と思って調べると、

第10代の天皇である崇神天皇陵、別名行燈山(あんどんやま)古墳でした。4世紀前半ごろの築造だそうです。

斜面に階段らしきものがあったので、早速上ってみると、堤の上に道がありました。

古墳の周囲の濠が、よく見えます。周囲の濠を含めた全長は360mで、全国第16位の大きさ。

濠の中に島があるのにびっくり! 古墳時代に造られたのか、それとも後世のもの?(江戸時代末、柳本藩により農業用溜池として池が拡張されました)

この道を歩いて、古墳を一周できないかなと思ったのですが、途中で遮断されています。

拝所は、私たちが歩いた場所のちょうど反対側。そこまで行く元気がなく、断念しました。

反対側も行ってみたのですが、天皇陵らしく、墳丘には近寄れません。マムシも怖い。

墳丘の緑と、周囲の濠とが美しいですね!

大和橘で元気になろう

崇神天皇陵を過ぎると、作者不詳の万葉歌碑。人麻呂説もあるそうです。

「玉かぎる夕さり来れば猟人の 弓月が嶽に霞たなびく」(夕方になってくると、弓月が岳に霞がたなびいているよ)という歌。もし人麻呂の歌だとすれば、山の辺の道にはいくつ人麻呂の歌碑があるのかな?

更に歩くと、道沿いの畑に面白い看板を発見。

崇神天皇の子である第11代垂仁(すいにん)、天皇が、田道間守(たじまもり)に命じて求めさせた、常世国(とこよのくに 海のかなたにある異世界)の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)。それが大和橘でした。

季節を問わず常に香りが強い(=非時香菓)ため、不老長寿の薬や上質のお菓子として珍重されました。

日本で唯一自生する柑橘類が、橘なのだとか。橘でこの地域が元気になればいいですね。

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