ハーンも時々訪れた松江城天守閣
2025年5月3日(土)、1泊2日で島根県に行ってきました。目的は、今年の秋に放映されるNHK連続テレビ小説『ばけばけ』主人公モデル・小泉八雲夫妻ゆかりの地を巡ること。「武家屋敷」や小泉八雲記念館、小泉八雲旧居を訪れた後、
松江城に行きました。小泉八雲(松江ではまだ帰化していなかったので、ラフカディオ・ハーンが正しいです)夫妻の旧居からも近く
彼らも毎日眺めていた松江城。ハーンは時々天守閣に登り、『神々の国の首都』では「この創造物は大きな怪物を集めて造った、まさに建築術の妙をきわめた一大怪龍だ」と、城の印象を記しています。

西洋の城とは全く違う日本の城が、ハーンには龍に見えたのでしょうか。
ハーンが紹介した、盆踊りと人柱伝説
ハーンはまた、松江城の石垣にまつわる人柱伝説を紹介しています。それはこんなお話。

松江城築城の際、天守台の石垣を築くことができずに何度も崩れ落ちたため、人柱が必要だと、工事人夫の間から声が上がりました。
そこで松江城を築城した堀尾吉晴(下)は盆踊りを開催し、集まった人たちの中から一番美しくて踊りの上手な娘を選んで人柱としたのです。娘は事情も分からず埋め殺され、石垣は見事に完成して城も落成したけれど、堀尾吉晴父子は相次いで急死し、お家断絶。続く京極家も断絶したため、人々は人柱になった娘の祟りと恐れました。

その後天守閣は荒れたまま放置され(元々天守は倉庫や有事の際のみ使用されるので、放置されても仕方がない)、すすり泣きも聞こえたとか。城が揺れるという理由で、松江の城下では盆踊りはしなかったようです。今も盆踊りはしていないのかな?
山陰地方に残る唯一の現存天守
堀尾吉晴によって建設された松江城は、『信長記』(『信長公記』とは違います)や『太閤記』の著者でもある軍学者・小瀬甫庵(おぜ ほあん)の縄張り(設計計画)による平山城。
関ケ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(吉晴の子)が、家康から隠岐・出雲24万石を与えられ、最初は尼子氏が居城としていた月山富田(がっさんとだ)城(島根県安来市)に入ったのですが
典型的な中世山城である月山富田城は、近世の城下町形成には不向きな地形。運送などに有利な中海と宍道湖を結ぶ太田川の近くが新しい松江藩の拠点として選ばれました。

そしてこの亀田山で築城開始。1611年に松江城が完成しています。

平山城なので、天守閣に行こうと思えば、どうしても標高29mの亀田山を登らなければなりません。途中神社があったので、お城見学が終わったら行ってみることに。

やっとたどり着いた松江城天守閣は、5層6階。山陰地方で唯一の現存する天守閣で、国宝に指定されています。国宝に指定されているお城は他に、犬山城、松本城、彦根城、姫路城の4城だけ。とても貴重な建物なのです。曇り空の下で見たせいか、ハーンが「怪龍」と感じたのも、なんとなくわかる気がしました。
次回はいよいよ天守閣に登ります。お楽しみに。
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