平成の大遷宮と皇族方
2025年5月4日(日)、一畑(いちばた)電車の「松江しんじ湖温泉駅」から直通の急行列車に揺られること45分ほどで、終点の「出雲大社前駅」に到着し、出雲大社の境内へ。
拝殿での参拝を済ませた後、拝殿の周囲を歩いてみました。平成の大遷宮(2013年)の際、天皇陛下から御下賜金、そして皇族方やそして元皇族の方々から神饌料があったことを記す高札が掲げられていました。

まぁ、天照大神など高天原の神々とその子孫には、「国譲り」で一筋ならぬ関りがあった神様なので、御下賜金や神饌料を出されるのは当然のことかもしれませんね。
八足門と宇豆柱の出土地
建物に沿って歩いて行くと、また大勢の参拝者がいる場所に出ました。

ここは「八足門(やつあしもん)」という場所で、ここから本殿を拝することができました。ここもすごい人です。

門の前には、不思議な円形の図。これってもしかして、あの巨大柱が出土した場所なのかな?
2000(平成12)年、出雲大社境内で地下祭礼準備室の建設にあたり発掘調査が行われ、巨大な杉の大木(1本約1.4m)3本を鉄の帯板で束ねて1組にした巨大な柱(鎌倉時代後期の本殿の遺構)が、3カ所で発見されました。やはりこの図は、柱の出土地を示していたのです。そしてこの巨大柱が「宇豆柱(うずのはしら)」。

「うづ」とは、古語や祝詞で「尊いもの」「大事なもの」という意味で使われている言葉。出雲大社では、社殿中央に心御柱(しんのみはしら)、その周囲に8本の宇豆柱が配置されて、屋根材を支えています。
余談ですが「うづ」は渦、らせんです。DNA配列から巻貝、鳴門の渦潮、台風、そして宇宙の星雲まで、世界は渦に満ちている。古代の人々がこのことに気が付いていたかどうかはわかりませんが、縄文土器の文様もらせん、渦ですね。偶然の一致なのかな。
宇豆柱の実物と、昔の出雲大社本殿模型
宇豆柱の出土跡の図形を見て、できれば本物を見てみたいなと思いました。
確か14年前に、出雲大社に隣接する島根県立古代出雲歴史博物館で見た記憶があったのです(下はその時の写真)。


もう一度見てみたかったのですが、この博物館は耐震改修工事等のため、2025年4月1日から2026年9月(予定)まで休館なのだとか。

平安時代の出雲大社本殿を再現したという10分の1の模型も、博物館にはありました。平安時代は高さ48m。古代にはさらに、その倍の96mあったという伝承があるのです(模型の写真も14年前に撮影)。

こんな高層建築が、もしかしたら平安時代にあったかもしれないんですね。出雲の底知れぬパワーが秘められているような気がします。休館中なのが、返す返すも残念でした。
ちなみに、宇豆柱と共に出土した本殿中央の心柱=「心御柱」は、出雲大社の宝物館・神祜殿で見ることができるそうです。こちらは8:30~16:30に開館しており、本殿の模型もあるとか。知らなかったな。
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