ラフカディオ・ハーン夫妻が最初に神戸で暮らした家の跡
2025年の春、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』ゆかりの神戸市北区の淡河(おうご)城(豊臣秀長が苦戦した城)を訪れた私たちは。
神戸三宮に戻り、もう1つのドラマゆかりの地を目指しました。それが、NHK連続テレビ小説『ばけばけ』主人公夫妻のモデルとなった小泉八雲・セツ夫妻が暮らした場所。神戸で最後に暮らした家(第三の家)があった宇治川公園や、「小泉八雲旧居跡碑」が建つ神戸第二の家跡(現在は兵庫県中央労働センター)を訪れた後
いよいよハーン夫妻(この時ハーンは、まだ日本に帰化していない)が最初に神戸で暮らした家の跡を訪ねてみました。もちろん今は跡形もありませんが、住所がわかっているし(神戸市下山手通4丁目7番地)、兵庫県中央労働センターの「小泉八雲コーナー」で、現在の写真が紹介されていたので(公式サイトでも紹介されています)それを手掛かりに探しました。
でもグーグルマップで住所を検索して、それらしい場所に行ってみるけれど、なかなか見つかりません。もしかしたら、住所表示が違うのかな? もう1つの手掛かり「ダフネビル」で検索し、「ダフネ(株)」という単語が見つかったので(ちょうどこの辺り)、
それを目当てに行ってみると
紹介されていた、赤いレンガ色のビルが見えました。
ちなみにここの住所は、神戸市下山手通4丁目15-1。
ハーン夫妻最初の家は、1階は和風、2階は洋風の奇妙な造りの家だったそう(写真は『文学アルバム小泉八雲』より)。
ハーンが新聞記者として勤めた神戸クロニクル
松江時代のほぼ倍の給料と、温暖な気候などで熊本第五高等学校への転勤を決意したハーンでしたが、同僚との人間関係に悩んだり、契約以上の授業数を担当させられたり、英語教材に失望したりで教師としての限界を感じていました。富国強兵や近代化=西欧化にまい進する熊本の街にも、馴染みにくかったようです。
そこで彼は転職活動を行い、日刊英字新聞『神戸クロニクル』の社主と意気投合。給料は熊本時代の半額になり、契約も6か月という不安定さでしたが、彼には既に作家としての印税収入もあったので、熊本第五高等学校を辞職して、神戸での新生活に踏み切りました。
神戸で彼が勤務した『神戸クロニクル』社(栄町通1丁目7番地 写真は『文学アルバム小泉八雲』より)。
今はこんな感じです。ハーンは最初の家から新聞社まで、徒歩で通勤していたそうです。
自由な執筆生活ができる新聞記者に戻ったハーンでしたが、過労で倒れ、神戸の在留外国人社会とも馴染めず(彼は人づきあいが上手ではなさそう)、新聞社も3ヶ月ほどで退社し、フリーの執筆生活に入ります。幸い彼の作家としての評判は高まっており、印税収入もありました。そして英語教師としての評価も高く、1895年12月、帝国大学(現・東京大学)から、英文学講師として招聘され(日本に帰化していても、外国人教授並の給与)、翌年9月、2年間過ごした神戸を後にして東京に向かいました。
神戸での八雲ゆかりの地は、松江や東京のように有名な場所ではないけれど、あまり知られていなかった彼の生涯の一コマがわかって(私は兵庫県民だし)、なかなか面白かったです。










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