小泉八雲が紹介した怪談の舞台3  松江藩主菩提所月照寺(後編) 『月照寺の大亀』

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一番大きな初代・松平直政の墓

2025年5月4日(日)、出雲大社の参拝を終えて、一畑(いちばた)電車で出雲大社前駅から、松江しんじ湖温泉駅へと戻り、前日には訪れることができなかった、小泉八雲ゆかりの場所へ行くことにしました。まず、怪談『飴を買う女』の舞台となった大雄寺(だいおうじ)を訪れた後、

小泉八雲が紹介した怪談の舞台1  『飴を買う女』と大雄寺

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小泉八雲が紹介した怪談の舞台2  松江藩主菩提所月照寺(前編) 八雲が愛した寺院とは

2025年6月21日

歴代の松平松江藩主が眠る墓所へと向かいました。

まずは初代・松平直政の墓地へ。徳川家康の孫にあたり、大坂の陣で、真田信繁(幸村)から戦いぶりを賞賛されたという逸話の持ち主なので(松江神社の主祭神)

松江城二の丸跡に建つ松江神社  主祭神の松江松平家初代・松平直政とは

2025年6月5日

廟門が立派です。

軒の唐破風には、虎と竹の彫刻。

門をくぐると蓮池があり、橋を渡ると鳥居の中に石塔があります。ここが墓所ですね。

境内で一番大きな墓だそうです。初代藩主だし、家康の孫だからそうなるかな。

松江藩で一番有名なお殿様? 松平治郷の墓

その隣にあるのが、7代藩主・松平治郷(はるさと)の墓所。茶道の不昧(ふまい)流の祖である茶人大名・松平不昧公と言った方が有名ですね。

この廟門も彫刻が素晴らしく、扁額には金の文字で「大圓庵」と書かれています。でも階段が少し怖かったので(寺の奥様からも、滑りやすいのでくれぐれも注意するように言われていました)、写真はこれだけ。

一段高い墓所からは

不昧公生前の希望通り、松江城がはるかに見えました。

下に見えるのは、先ほど訪れた、松平直政の墓所です。

怪談になった寿蔵碑とご対面

今回私が一番見たかったのは、小泉八雲が紹介した、大亀の像。

本堂の外側や(額は、最後の藩主=10代藩主・松平定安の書)

御霊屋(おたまや)の側を通り

6代藩主・松平宗衍(むねのぶ)の墓所へ。墓の傍らに、その像はありました。

これです! 正式には寿蔵碑(じゅぞうひ)と言い、生前に建てられる墓碑のこと。その土台になっているのは、一見大亀のように見えますが、龍が生んだ9頭の神獣の1つ、贔屓(ひき)という亀に似た生物。重いものを背負うのが好きらしいので(健気!)、石碑の土台になっています。石碑の土台になると「亀趺(きふ)」と呼ばれました。

この寿蔵碑を建てたのは、宗衍50歳の時に藩主だった息子の治郷(不昧公)。父親のために、材質の良い石を久多見(松江から30kmほど離れた場所)から運んだそう。ところが亀趺の像が夜な夜な動き出して、境内の蓮池の水を飲んだり、「母岩恋し、久多見恋し」と城下に繰り出し、人間を食い殺したりしたそうです(怖)。

住職は、亀趺の背中に大きな石碑を置いて、二度と動かないように封じ込めたとか。この話を小泉八雲(当時はまだ帰化していないので、正確にはラフカディオ・ハーン)は、『知られざる日本の面影』上巻の「杵築雑記」で紹介しています。

この像は顔も凛々しくて迫力あるし、とても大きいのでこのような怪談が生まれたのでしょう。でも今は、「頭を撫でると長生きできる」という言い伝えの方が有名みたい。私も頭を撫でました。

書置きの御朱印は、300円。時間があれば、もっとじっくり墓所を見て回るのも、面白いかもしれませんね。

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