本陣跡に建つ加恵瑠神社 大明神のお告げを聞こう!
2025年7月5日(土)、3年ぶりに1泊2日のバスツアーに参加しました。クラブツーリズム主催の
『飛騨牛付きの夕食!下呂温泉たっぷり約17時間滞在 2日間』【天王寺・なんばパークス・梅田・新大阪 出発】<ゆったり旅/こだわりバスの旅>
というバスツアーで、料金は2人で69,800円。ホテル到着前に希望者は下呂駅で下車し、温泉街を散策できるというので、温泉街散策目当てでこのツアーに参加した私たちは、大喜びで温泉街に繰り出し、最初の目的・下呂プリンやゲロゲロバタースタンドのバターサンドを堪能。
これらの店の近くにも、面白いものがありました。まず下呂プリンのすぐ近くにある神社。
鳥居の扁額には「加恵瑠神社」と漢字が書かれていますが、社殿の前の緑の幟には「かえる神社」と書かれていました。つまり下呂=ゲロゲロ=カエルをお祀りしている神社です。

この緑の幟も、カエルの色かな?

参拝しようと社殿の前に行くと、加恵瑠大明神が鎮座されていました。「お賽銭を奉納すると、加恵瑠大明神のお告げを聴くことができます」と書かれていたので、お賽銭を入れてみると、どこからか男性の声で、「家運が繁栄するでしょう。ゲロゲーロ」というお告げが聞こえてきました。ありがたや。
加恵瑠大明神は「無事帰る」(道中安全、交通安全)、「若返る」(病気平癒など)、「知恵返る」(記憶力増進など)のご利益があるそうです。このうち「無事帰る」のご利益はありました。ありがたや。

手水鉢もカエル。後で知ったのですが、石灯籠の窓もカエルの形になっていました。

下呂温泉は江戸時代、飛騨街道の宿場町・湯之島宿でした。そしてこの地には本陣の飛騨屋(武川久兵衛宅跡)があり、あの伊能忠敬も1814(文化11)年4月13日、全国測量の旅で宿泊したことが彼の測量日記に記されているのだとか。歴史を感じます。
交通の要衝だった名残の高札場
ゲロゲロバタースタンドの隣にあったのも、昔の宿場町の名残を偲ばせるものでした。
それが、高札場(こうさつば)。幕府や領主が定めた法令や掟書などを、人目につきやすい場所に掲示したものです。

現在の下呂温泉の高札場は、復元されたもの。下呂温泉(江戸時代は湯之島宿)は、飛騨高山と越中富山を結ぶ飛騨街道(越中西街道)が通り、中山道中津川宿とを結ぶ南北街道の分岐点としても栄えた場所だったようです。南北街道で中津川宿に出れば、そこから江戸や京・大坂にも出ることができますね。
今は下呂温泉は、どちらかと言うと秘境っぽい(交通の便が必ずしも良くない)ように思えますが、昔は交通の要衝。この場所には、荷駄の取次をする伝馬宿(てんましゅく)もあったそう。幕府の使者や荷物を無料で運ぶための人足や馬が多数待機していて、リレー形式で荷物を運んでいたのですね。
この伝馬宿を差配していたのも、武川家。調べてみると江戸時代中期には、北海道開拓などにも携わっていたそうです(詳しくはこちら)。色々なところで歴史の重みを感じました。
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