HISバスツアーで行く小布施1 北斎の肉筆画と福島正則の霊廟がある岩松院

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北斎見たさに参加したバスツアー

2019年10月5日(土)、HISの大阪発1泊2日バスツアーで、長野県小布施町を訪れました。

参加したツアーは

高級品種シャインマスカット狩り!夕食はローストビーフ・寿司・天ぷらなど約50種バイキング!『HAKUBA MOUNTAIN HARBOR』絶景テラス&おしゃれ信州2日間

という名前で、どこにも「北斎」や「小布施」の名前は入っていないのですが、途中、北斎の肉筆画があることで有名な小布施町に行くことに、夫が目ざとく気が付きました。

早速2人で参加し、北斎の肉筆画を堪能。栗のシーズンとあって、町は観光客で大賑わい。

その1週間後の12日(土)、小布施町は台風19号の被害に見舞われてしまったのです。

でもフェイスブックによると、翌日の13日(日)から、かなりの観光地が通常営業しているそうです。

小布施町の一刻も早い復興を願いながら、小布施町の魅力の一端を紹介させていただきます。

大阪から小布施までは遠かった

今回のバスツアーは、今までになく参加人数の少ないツアーでした。

46人乗りのバスなのに、19名しかいません。こんなことは初めの経験。この時期は台風が心配だから、予約が少なかったのでしょうか(このツアーは天候が決め手だし)。

ツアー自体も年に2回しか催行されないそうです(今回が今年最後)。

でも国慶節なのか、中国人グループが8名ほどいました。日本語も少しわかるようです。

人数が少ないせいか集合状況はよく、全員揃うと少し早めに出発できました。

添乗員の吉川ゆかさんによると、大阪からノンストップでも小布施までは6時間もかかるのだとか。

大阪梅田を7:22に出発し、3箇所のSAでトイレ休憩を取り、昼食も各自で購入したものを車中で食べました。珍しくオプションの車内販売が全くなかった!

とても郷愁をそそる、稲木による稲の天日乾燥の光景も見ることができました。

小布施に到着したのは14:00過ぎ。

小布施では、90分間の自由時間がありました。

葛飾北斎の天井画を見に岩松院へ

添乗員の吉川さんのお勧めは、北斎館や食べ歩きなのですが、私たちにはどうしても、他に見たい場所がありました。

北斎の肉筆天井画がある、岩松院です。

バスが停車している北斎館から、距離があるので迷わずタクシー(長電タクシーを電話で呼びました)。

私は全然知らなかったのですが、福島正則の霊廟もある由緒正しい寺院でした。仁王門も立派です。

こちらが北斎の肉筆画のある本堂。拝観料は大人300円です。

本堂内部は写真撮影禁止。パンフレットにある北斎の肉筆画「八方睨み(はっぽうにらみ)鳳凰図」をご覧ください。

パンフレットの写真では小さく感じられるでしょうが、21畳敷の天井一面に描かれ、北斎の作品の中で最大(というか巨大)の作品。

北斎最晩年の作品ですが、映画にもなった娘さんの葛飾応為(おうい)が手伝ったという説もあります。とにかくすごい迫力!

ご住職の説明を聞きながら天井画を見たのですが、確かにどこに行っても、鳳凰の視線を感じます。

最初は普通の紙の大きさで下絵を描き、それを100倍以上に拡大して、12分割した板に描いたようです。

ミケランジェロのように、天井に直接描いたのではなく、床に置いて描いたようですが、それにしても80代後半の作品にしてはすごく力強いと感じられます。

その原因は、多分絵具。100年以上経っているのに、全然色あせていないのです。修復も全くされていないとか。

輸入品の辰砂(丹=朱色)、孔雀石(緑色)など高価な岩絵具がふんだんに使われ、絵具代は金150両!

加えて金箔4,400枚が使用されたようです。

生涯プロの絵師として精進し続けた北斎の才能と気迫を、間近で感じることができました。

職業人の鑑です。私も見習いたい。

小林一茶と蛙(かわず)合戦の池

境内から見える庭は撮影可能。

ここの池は、春になると蛙がたくさん集まり、雌を巡って雄が争うそうです。

これを見た俳人・小林一茶は「やせ蛙まけるな一茶これにあり」と詠みました。

実は病弱なわが子・千太郎(一茶54歳の時に誕生!)への声援の句だったらしいのですが、その願いもむなしく、千太郎は一カ月足らずで病死したそうです。

福島正則の霊廟

福島正則(まさのり)は豊臣秀吉の重臣で、「賤ケ岳の七本槍」の一人として知られ、関ケ原の戦いでは、反石田三成の急先鋒として家康側(東軍)で大活躍。

関ケ原の功績により、広島城を有する大大名となったものの、家康の死後、武家諸法度に違反したとして、安芸・備後50万石は没収され、川中島近くの高井野藩4万5千石に移されました。

武家諸法度違反の実情は、幕府の許可なく、台風で水害に見舞われ、雨漏りした場所を修理していたのですが、幕府にとって有力外様大名の福島正則は邪魔な存在だったので、渡りに船とばかりに処罰したようです。

息子にも先立たれ、64歳で亡くなった福島正則。死後、御家断絶となりました(その後再興)。

寺の案内板によると、幕府の検死役到着を待たずに遺体を火葬したとして、高井野藩4万5千石が没収されたそうです。亡くなったのが7月の下旬だから、早く火葬したいのは分かっているはずなのに、幕府は執拗に福島家を追い詰めたのだと感じられました。

彼の五輪塔は、この建物の中にあるようです。でも内部はよく見えませんでした。

岩松院の御朱印

今年の9月から、御朱印を集め始めています。

HISで行く寸又峡・大井川鐡道1泊ツアー2 三河湾のパワースポット・竹島

2019年9月18日

岩松院でも、御朱印を頂くことができました。

記帳料は300円。北斎や福島正則のことも記され、いい記念になりました。

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