中国人町ながら、国際色豊かなチャンフー通り
2025年8月26日(火)の午後、私たちはホテルロイヤルホイアンギャラリーから、徒歩で旧市街にある来遠橋(別名日本橋)まで歩き、
橋を渡って旧市街のメインストリート・チャンフー通りを散策。外から見ているだけではつまらないので、1人120,000ドンの入場券を購入し、まずは福建会館を見学しました。
福建会館以外にも、チャンフー通りには、中国系の集会所(会館)がいくつかありました。
その中でも一番目立っていたのが、この廣肇会館(別名広東会館)。
来遠橋からも近く、旧市街で一番最初に見た会館(同郷人集会所)でした。広東・肇慶(ちょうけい)地方からホイアンに移り住んだ人々が建てた会館なので「廣(「広」の旧字体)肇」会館。ちなみに肇慶地方は、広東省南部にある肇慶市の周辺です。
歩いていると中国風の建物に混じって、いきなり広場にこんな彫像! これはどう見ても、ヨーロッパ人です。
調べてみると、この広場は「カジミエシュ・クワトコフスキー広場」。あの銅像は長年の戦争によって破壊されたベトナムのモニュメントを再建し、保全活動すべくユネスコの呼びかけに応え、尽力したポーランドの建築家でした。
ベトナム風とは少し違う、異国情緒ある商品を売る店も。
金色のマネキンの顔は、日本では見かけないと夫が言います。確かにそうかも。
貿易商人フーンフンの家へ
チャンフー通りから来遠橋を渡ると、通りの名前はグエン・ティ・ミン・カイ通り。
来遠橋は、水路を隔てて隣り合う日本人町と中国人町を繋いでいますが、この辺りは日本人町だったのかな?
橋を渡ってすぐに、次の見学先・フーンフンの家(馮興家=ひょうこうけ)はありました。ここもチケットは2枚必要だった記憶が。
中国の貿易商人が200年前にホイアンに移住して建てた家で、ベトナム戦争の戦火も潜り抜け、現在は8代目当主がこの家を守っています。黒い壁はベトナム、柱は中国、屋根は日本と3か国の建築様式が融合しているそう。
桂皮、塩、シルク、陶器等を扱う裕福な貿易商人の家らしく、
1階の応接間の家具は彫刻が繊細。
漆や螺鈿もふんだんに使われ、豪華な内装に驚かされます。
こちらは2階。部屋の中央にある祭壇には、
福建会館にも祀られていた航海の女神「天后聖母」。
漆のテーブルや椅子は、8代目の家族が団らんで使用。見学時間中、ご家族はどうしているのかな?
2階の窓からは、来遠橋やグエン・ティ・ミン・カイ通りがよく見えます。
天井の骨組みは、日本の建築様式。私は見過ごしたのですが洪水対策も施され、2階床の格子になった部分を外して、1階の荷物を運び上げていたとか。先人の工夫の跡を、しっかり見たかったな。






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