オープニングは「綱火」から
2025年11月1日(土)、愛知県の伊良湖(いらご)岬や豊橋市を訪れる機会がありました。鳥羽港から伊勢湾フェリーに乗って伊良湖港に上陸し、港から徒歩10分ほどの「灯台茶屋」で焼きあさり定食を頂き、その後徒歩40分ほど歩いて椰子の実記念碑や日出の石門(ひいのせきもん)、伊良湖岬灯台を観光し、
目指すは「第30回 豊橋炎の祭典」の会場となる「かもめ広場少年サッカー場」。キッチンカーも屋台も大行列で、食事にはありつけませんでしたが
17:30にいよいよ開演。まずはオープニングの「綱火」です。仕掛け花火の一種で
地面と水平に張られた綱上を、竹筒に込められた花火が走る!(これも初めて見ました)
まるで花火のジップライン! 開幕を告げるにふさわしい花火でした。
豊橋名物・手筒花火
「綱火」の後は、時折打ち上げ花火を挟みつつ
手筒花火の競演が続きます。五穀豊穣、無病息災、家運隆盛、武運長久を祈り、奉納者(男前衆)自らがその製造から放揚(ほうよう=神事や祭礼で花火を打ち上げること)までの全行程を手作りで行うという、とても手間のかかる大変な作業。一発放揚するだけでも、とても大変そうでした。
私たちは、手筒花火を見るのは生まれて初めて。しかも私は、火が大の苦手で、子供の頃はマッチを擦るのが怖くて仕方がなかったという臆病者(理科の実験でアルコールランプを見るだけで、青ざめてました)。花火を揚げる「男前衆」の方々は、(約30秒間)ものすごい火の粉を浴びているのですが
最前列付近の人たちも、火の粉は大丈夫かな?と心配しながら見ていました。 その分最前列なら、とても迫力のある写真が撮れたことでしょう。私の席からでは、前の人の頭は良く見えるのですが、仁王立ちで手筒を構える男前衆の姿までは、なかなか撮影できません。肉眼ではうっすらと見えたのですが。
この手筒花火は、豊橋市の吉田神社が発祥の地と言われています。戦国時代(今川義元の時代)から既に手筒花火の奉納が行われ、氏子八ヶ町で手筒の技を競い合ったとか。
吉田神社の他にも、豊橋市には祭の際に手筒花火を奉納する神社がいくつもあり、地元の青年たちによって手筒花火の伝統が守られているようです。この花火を揚げることができたら、もう立派に一人前ですね。
大筒花火と打ち上げ花火の競演も!
そんな豊橋市各地に残る、手筒花火の保存会や有志会による放揚が続いた後は、
「台物」(台に固定する大筒、火車などの花火)の練りこみや大筒花火の競演などがあり、
打ち上げ花火もあって祭典もフィナーレ。
迫力の花火を揚げてくれた男前衆の人々には、惜しみない拍手が送られていました。やはり実際に目で見ると、映像より何倍も迫力があってとても良かったです。











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