第30回 豊橋炎の祭典を観覧(後編)  三河伝統の手筒花火と男前衆の勇気に感動!

スポンサーリンク



オープニングは「綱火」から

2025年11月1日(土)、愛知県の伊良湖(いらご)岬や豊橋市を訪れる機会がありました。鳥羽港から伊勢湾フェリーに乗って伊良湖港に上陸し、港から徒歩10分ほどの「灯台茶屋」で焼きあさり定食を頂き、その後徒歩40分ほど歩いて椰子の実記念碑や日出の石門(ひいのせきもん)、伊良湖岬灯台を観光し、

恋路ヶ浜の伊良湖岬灯台と、道の駅伊良湖クリスタルポルト

2025年12月22日

『どうする家康』のロケも行われた日出の石門  岸の石門と沖の石門があるので注意!

2025年12月21日

『海上の道』へのロマン  民俗学者・柳田國男が椰子の実を拾った伊良湖崎

2025年12月20日

渥美半島の大アサリに舌鼓! 伊良湖岬の灯台茶屋で食べた焼きあさり定食

2025年12月19日

伊勢湾フェリーで鳥羽から伊良湖岬へ(後編)  「海の国道」を走る伊勢湾フェリー

2025年12月18日

伊良湖港から豊鉄バス豊橋鉄道渥美線を乗り継いで、

豊鉄バスで渥美半島を走る  県外から来た『だも豊』ファンには感動の光景も

2025年12月23日

目指すは「第30回 豊橋炎の祭典」の会場となる「かもめ広場少年サッカー場」。キッチンカーも屋台も大行列で、食事にはありつけませんでしたが

第30回 豊橋炎の祭典を観覧(前編)  ミニサイズでも大迫力の手筒花火 

2025年12月24日

17:30にいよいよ開演。まずはオープニングの「綱火」です。仕掛け花火の一種で

地面と水平に張られた綱上を、竹筒に込められた花火が走る!(これも初めて見ました)

まるで花火のジップライン! 開幕を告げるにふさわしい花火でした。

豊橋名物・手筒花火

「綱火」の後は、時折打ち上げ花火を挟みつつ

手筒花火の競演が続きます。五穀豊穣、無病息災、家運隆盛、武運長久を祈り、奉納者(男前衆)自らがその製造から放揚(ほうよう=神事や祭礼で花火を打ち上げること)までの全行程を手作りで行うという、とても手間のかかる大変な作業。一発放揚するだけでも、とても大変そうでした。

私たちは、手筒花火を見るのは生まれて初めて。しかも私は、火が大の苦手で、子供の頃はマッチを擦るのが怖くて仕方がなかったという臆病者(理科の実験でアルコールランプを見るだけで、青ざめてました)。花火を揚げる「男前衆」の方々は、(約30秒間)ものすごい火の粉を浴びているのですが

最前列付近の人たちも、火の粉は大丈夫かな?と心配しながら見ていました。 その分最前列なら、とても迫力のある写真が撮れたことでしょう。私の席からでは、前の人の頭は良く見えるのですが、仁王立ちで手筒を構える男前衆の姿までは、なかなか撮影できません。肉眼ではうっすらと見えたのですが。

この手筒花火は、豊橋市の吉田神社が発祥の地と言われています。戦国時代(今川義元の時代)から既に手筒花火の奉納が行われ、氏子八ヶ町で手筒の技を競い合ったとか。

吉田神社の他にも、豊橋市には祭の際に手筒花火を奉納する神社がいくつもあり、地元の青年たちによって手筒花火の伝統が守られているようです。この花火を揚げることができたら、もう立派に一人前ですね。

大筒花火と打ち上げ花火の競演も!

そんな豊橋市各地に残る、手筒花火の保存会や有志会による放揚が続いた後は、

「台物」(台に固定する大筒、火車などの花火)の練りこみや大筒花火の競演などがあり、

打ち上げ花火もあって祭典もフィナーレ。

迫力の花火を揚げてくれた男前衆の人々には、惜しみない拍手が送られていました。やはり実際に目で見ると、映像より何倍も迫力があってとても良かったです。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です