別所長治の騎馬像
2025年4月、人気急上昇の桜の名所として紹介された兵庫県小野市の「おの桜づつみ回廊」に行く機会があったのですが、
その帰りに、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公たちが苦戦した三木合戦の舞台・三木城跡(兵庫県三木市)を訪れました。
本丸跡周辺の「上の丸(うえのまる)公園」には、たくさんの石碑があります。
その中には、三木合戦とは関係のない忠魂碑もあるのですが(日清・日露戦争と第二次大戦の戦没者の位牌が納められているらしい)
やはり三木城主・別所長治に関するものが多いです。例えばこの騎馬像。
戦国武将の騎馬像ですが、勇猛さよりもどことなくあどけなさも残るように見える顔立ち。兵糧攻めで苦しむ城兵や領民の命を救うことを条件に、別所一族が自害することを秀吉に申し出た時、別所長治はまだ23歳でした。
胸を打つ辞世の歌
公園にある天守台。
戦国時代の三木城には、天守ではなく櫓が建っていたのでしょう。
この天守台の上には、別所長治辞世の句碑。「今はただ恨みもあらじ 諸人のいのちにかはる我身とおもへば」 もう格好良すぎます。
長治と運命を共にした、別所一族の辞世の歌碑もありました。最初に刻まれていたのが、弟の友之(享年21歳)の歌「命をも おしまざりけり梓弓 すゑの世までも名の残れとて」。次が長治の妻・照子(享年22歳)の「もろともに 消え果つるこそうれしけれ 後れ先立つ習ひなる世に」。友之の妻(享年17歳)「頼めこし 後の世までに翅(つばさ)をも 並ぶる鳥の契なりけり」
4首目は、別所吉親(長治の叔父で反織田方)の妻「後の世の 道も迷はじ思い子を 伴れて出でぬる行末の空」。長治や友之の妻子は夫に刺殺されましたが、女武者として活躍した彼女は、子供3人を刺殺し、その刀で自害しています。一方夫の吉親は、自分の首を信長に渡すのを拒み、城に火をかけようとして家臣に殺されてしまいます。
最後の歌は、長治兄弟を介錯し、自らも自害した家老・三宅治忠の「君なくば 浮身の命何かせん 残りて甲斐のある世なりとも」。本当に、胸に迫ります。
地元の三木市では、別所長治は自分や一族の命と引き換えに城兵、領民の命を救った英雄として、今も称えられています。毎年5月5日には長治を偲ぶ「別所公春祭」が催され、辞世の歌碑を前にした歌碑祭の他、武者行列などのイベントも行われるそうです。
天守台の知られざる楽しみ方
天守台を清掃していたボランティアの男性に教えてもらったのですが、
実はこの場所、美嚢(みのう)川を渡る神戸電鉄の列車が撮影できる、絶好のポイントなのだとか。
ちょうどうまい具合に、上りと下りの電車が鉄橋を通過するのを撮影することができました。
「おの桜づつみ回廊」ほどではないですが、美嚢川の土手にも桜並木があり、なかなか美しいものです。
平和で美しい景色を見れば見るほど、約450年前にここで繰り広げられた凄惨な光景との対比が強烈。秀吉が得意とする兵糧攻めは、兵力と財力に余裕がないとできません。「三木の干殺し」の後も「鳥取城の渇え殺し」や「備中高松城水攻め」など、秀吉得意の兵糧攻めは続きます。きっと小一郎秀長も、兵糧攻め成功のために色々働くのでしょうが、城内の凄惨な地獄絵図はどこまでわかっていたのかな。『豊臣兄弟!』ではどう描かれるのでしょうか。







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