平渓線の旅1 瑞芳駅情報と、終着点菁桐駅周辺のみどころ

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台湾旅行最終日の7月17日(月)は、人気のローカル線である平渓線の1日乗車券(1人80元)を利用して、沿線の名所を巡ることにしました。

瑞芳駅コインロッカーでの衝撃

朝の瑞芳駅周辺の美食街(ホテルもこの近くでした)。

私達は8:08発の始発に乗るため朝食も抜いて、宿泊先のホテルに荷物を預けて身軽に観光する予定でした。

ところが、ホテル(デリケートパヒューム瑞芳駅)はチェックアウトの時にフロントが無人で、荷物の預けようがなく(チェックインの時に予告しておくべきだったかも知れません)、仕方なく荷物を持って駅へ向かい、手荷物預かり所を探しました。

手荷物預かりの場所はあったのですが、営業開始が8:00~20:00で、まだ閉鎖されていました。

列車に乗り遅れてもいけないので(ローカル線なので、列車は1時間に1本)、コインロッカーを探したところ、普通のロッカーと大型ロッカーがありました。

何気なくロッカーを開けると、不気味な黒い物体が!何かの動物のミイラ?!

悲鳴を上げて慌てて扉を閉め、おそるおそる次のロッカーを開けたところ、何もなかったのですが、本当に驚きました。

大型コインロッカーがあるので、キャリーケース含む3人分の荷物をまとめて入れて、料金は3時間50元+延長料金。

日本であまり使ったことのないパスワード方式なので、少し戸惑いました(特に延長料金を支払う時)。

まぁいろいろあったけれど、始発に乗って、いざ出発!

ローカル線ムードあふれる車内

今日は台湾では平日のようで、始発のローカル線は乗客も少なく、のんびりムードでした。

列車内部も、どこか懐かしい、いかにもローカル線という風情のロングシートです。

面白かったのが、中国風の丸い仕切りが、車内にあったこと。

今までこんな車両をあまり見なかったので、新鮮でした。

車掌さんが検札に来たり、ドアを手動で開閉する駅があったり、停車時間の長い駅があったりと、日本のローカル線と全く同じです。

車窓からの眺めも楽しくて、民家のすぐそばを通り抜けたと思ったら(これは十分付近)

緑あふれる渓谷の中を走ったりします。

元々この平渓線は、日本統治時代に炭鉱開発のため施設されたのだとか。

美しい車窓の景色をのんびり眺めていたら、突然の娘の悲鳴!

彼女のバッグの中に、見たこともないような大きなムカデが入っていたのです。

幸いどこも刺されてはいませんでしたが、一体どこから入ってきたのかな?

瑞芳駅のコインロッカーの物体や、車内のムカデなど、自然豊かな場所だからこそ起こりうるハプニングでした。

菁桐駅舎

9:05に終着駅の菁桐に到着しました。

日本統治時代の1929(昭和4)年に建てられた白い木造の駅舎は、台湾に現存する4つの日本式木造家屋の1つで、国家三級古跡に指定されているという、貴重な建物でした。

許願筒が印象的な菁桐老街

駅前には、古い商店街がありましたが、まだ朝早いので、人通りは少ないです。

願い事を書いた竹筒(許願筒)がたくさん掛けられていました。

1960年代、菁桐駅の駅員が菁桐老街の氷屋さんの女性店員に恋して、その思いを竹筒に書いて伝えたことに由来します。

美しいし、なかなか壮観な眺めでした。

許願筒は1本40元なので、時間があれば書いてみるのもいかかでしょうか。

兵罫線沿線の有名な「猫村」ほどではないですが、猫もいました。

こんな面白い道標もありました。

情人橋

名前の由来がわからないのですが、恋人たちの聖地らしい名前です。

階段を注意して降りながら、橋を渡ってみました。

ここの許願筒には、当然恋愛のことが書かれているのでしょう。

でも古びてしまった許願筒を見ると、ちょっと切ない気持ちにもなります。

朝まだ早いため、私達の他は観光客もおらず、古い橋は静かなたたずまいを見せていました。

基隆河には、魚たちがきらきら光る背を見せながら泳ぎ、大きな鳥の姿も見かけました。

川魚をこんなにたくさん見たのは、生まれて初めて。

上流の橋から見た情人橋と基隆河の写真です。

駅周辺の日本家屋

駅前の案内板を見ていたら、どうも日本の伝統家屋や皇太子に関する建物がありそうなので、少し歩いてみることにしました。

老街を出ると、炭鉱夫のモニュメントがあり、この町が炭鉱で栄えていたことを物語っています。

少し歩くと店があって、おじさんが親切に声をかけてくれたので、日本の家屋について尋ねてみましたが、私達の質問の仕方が悪いのか、わからないと言われました。

でも、どうもさっき橋の上から見た、立派な瓦葺の建物が気になります。

思い切って行ってみました。

やはりここは太子賓館という、日本統治時代に皇太子、つまり後の昭和天皇を迎える迎賓館として建てられた建物でした(内部は見学できないようでした)。

近くには「北海道民宿」や「皇宮茶坊」など、伝統的な日本家屋を生かした施設がありました。

地元の小学生らしき集団が、先生に引率されて、社会見学に訪れていました(彼らの様子を見ていると、ピコ太郎さんはまだまだ人気が高いようです)。

この辺りに昔、日本人の集落があったのでしょうか。

近くに棚田があって、「日本の原風景」というような、とても懐かしい景色でした。

 

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