南渓和尚ってどんな人? 傑山や昊天ら龍潭寺の僧侶たちや、猫との関わり

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大河ドラマ『おんな城主直虎』を語る上で、絶対に外すことができないのが、龍潭寺の南渓和尚。

とても頭が良くて、直虎たち井伊家の相談役や知恵袋として、数々の危機を乗り切ってきました。

この南渓和尚と、魅力的な龍潭寺の僧侶たちについて、実際はどうなのか、少し調べてみました。

龍潭寺については、こちらの記事もご覧ください。

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南渓和尚の生い立ち

南渓和尚は、直虎の曽祖父・井伊直平(大河ドラマでは前田吟さんが演じておられました)の次男、もしくは三男でした。

次郎法師直虎からは、祖父直宗の弟なので、大叔父に当たります。

武士の家では男子が複数生まれると、最低1人は僧侶にして、家の菩提を弔う風習がありました。

南渓和尚もその風習に従って出家し、龍潭寺の開山(寺院を開創した僧侶)・黙宗瑞淵(もくそうずいえん)の弟子となります。

出家して南渓と名乗りますが、正式には、南渓瑞聞(なんけいずいもん)という名前で、龍潭寺の2代目住職となりました。

この南渓和尚には、謎があります。

井伊家の男子がどんどん亡くなっていく状況下、なぜ彼は、今川義元のようにさっさと還俗して、井伊家を継がなかったのかということです。

その原因ではないかとされるのが、南渓和尚の実父のこと。

龍潭寺が所蔵する「南渓過去帳」には、父は実田秀公居士と記載されているそうです。

一方、井伊直平の戒名は西月顕祖大居士で、これから見ると南渓和尚の父親は井伊直平ではなく、もっと身分が低い人物ということになります。

ここで出てきたのが、南渓和尚の養子説。

いくら頭脳明晰・才気煥発・心身壮健であろうとも、本当の井伊家の一族ではないという負い目が、最後まで還俗に踏み切らせなかった理由だとされます。

以前紹介した『女にこそあれ次郎法師』では、南渓和尚の母は直平の側室で、彼女と川名の武士との間に生まれた不義の子という設定でした。

井伊直虎 女にこそあれ次郎法師 (角川文庫)

大河ドラマでもこのセリフが出てきて驚きましたが、どこまで本当でどこからが冗談なのかわからない、例の小林薫さんの飄々とした演技でけむに巻かれてしまいました。

そういう可能性を消していない、ということでしょうか。

桶狭間の戦いや気賀堀川城の戦いでの戦死者や、処刑された小野政次を弔い、葬ったのも南渓和尚とその弟子たちでした。

南渓和尚の生年は不明ですが、直虎よりも7年長生きし(やはり心身壮健だったのでしょう)、1589(天正17)年9月28日に亡くなりました。

中世の寺院生活

中世の禅宗寺院は、宗教儀礼をおこなったり僧侶が修行する場であることはもちろん、荘園を経営し、金貸し業を営み(だから徳政令が出ると困ります)、支配者階級の子弟が学問を学ぶ場でもありました。

僧侶は修行や学問のため旅に出る機会が多く、各地の情報に通じていたため武士の相談役となり、旅人にとって重要な橋や港の維持管理も行っています。

また禅宗寺院は、中国伝来の貴重な経典や書画(水墨画など)を所持することが多く、ネズミの害を防ぐため、猫を飼う場合が多かったと言います。

今年の大河ドラマに猫が登場するのは、決して来年の大河ドラマ(『西郷どん』)の主役が超愛犬家だから、バランスを取っているというわけではないのでした。

余談ですが、大河ドラマに登場する猫のにゃんけいは、代替わりしていましたね(これで時間の流れを表現しているのかな?)

また、戦争になると寺院を宿舎(陣所)として提供し、戦死者の供養・埋葬はもちろん、負傷者の手当てに当たることもありました。

頼れる2人 傑山と昊天

また戦乱や盗賊などから寺院の資産を守るため、武術に励む僧侶も出現。

南渓和尚自身も武芸の達人であったと言われますが、有名なのは南渓和尚の弟子である傑山(けつざん)と昊天(こうてん)です。

2人とも大河ドラマで活躍し、次郎法師の兄弟子として、またボディーガードにもなる頼もしい僧侶たち。

傑山こと傑山宗俊(けつざんそうしゅん)は弓の名人で、昊天こと昊天宗建(こうてんそうけん)は長刀に優れていた(反りの深い長刀を好んだ)と言います。

2人は直虎の死後、井伊直政と共に小牧・長久手の戦いに出陣して大いに名をあげました。

傑山は南渓和尚の死後、3代目の龍潭寺住職になり、1593(天正20)年に死去(生年は不詳)。

また昊天は、井伊直政の遺言(関ケ原の戦いで負った鉄砲傷がもとで死去)により、石田三成の居城であった佐和山に豪徳庵を建立し、やがて彦根の龍潭寺開山として迎えられたそうです。

その後、井伊谷龍潭寺の5代目住職となり、1644(寛永20)年に亡くなりました。

彼も生年不詳なので享年はわかりませんが、今川義元の時代から、鎖国も島原の乱鎮圧もやり遂げた徳川家光の時代まで見届けるなんて、100歳近いご長寿だったのではないでしょうか。

大河ドラマの昊天さんは、もしかしたら見た目より、もっともっと若いのかもしれません。

龍潭寺や南渓和尚の活躍は事実なのか

さて、龍潭寺の僧侶たちの活躍が後世に伝わるのは、『井伊家伝記』によるところが大きいのですが、この本は、江戸時代の中期に、井伊共保誕生の井戸の権益を巡っての、龍潭寺と隣村の正楽寺の対立をきっかけに、龍潭寺の僧侶が、いかに龍潭寺と井伊家との関係が深いのかをアピールするために書いた本です。

井伊直虎は男性?女性? その2 直虎の父と龍潭寺の隠された事情

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もしかしたら、今まで紹介してきた南渓和尚たちの活躍は、少し「盛られて」いるのかもしれません。

猫を相手にお酒を飲み、生臭坊主のふりをしつつ、いざという時には黒幕となり、幼い虎松君にも何かを吹き込んだような形跡のある大河ドラマの南渓和尚ですが、真実の姿は、まだよくわかりません。

ともあれ今日は、南渓和尚の命日です(新暦ですが)。

この記事が、南渓和尚への、ささやかな供養になったでしょうか。

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