井伊直虎は男性?女性? その2 直虎の父と龍潭寺の隠された事情

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前回は、今年のNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』の主人公、井伊直虎についての通説を紹介しました。

ではこの説は、一体誰が最初に記したのでしょうか。

『井伊家伝記』の「女地頭」

井伊直盛の娘が「次郎法師」という名の女性であったという説は、『井伊家伝記』に記載されているようです。

この『井伊家伝記』は江戸中期の1730年(享保15年 徳川吉宗の治世)に井伊谷(いいのや 現在の浜松市北区)にある井伊家の菩提寺・龍潭寺(りょうたんじ)の住職であった祖山という人物によって書かれた本です。

祖山が書いた原本の現存は確認されておらず、写本が数種類伝わっているようです。

そのうちの1冊が静岡県立中央図書館に所蔵され、電子データで見ることも出来ます。

私も少し覗いてみましたが、恥ずかしいことに筆文字が読めません。

ご興味のある方は、一度御覧になってはいかがでしょうか。

『井伊家伝記』は、井伊家の始祖(大河ドラマでは「ご初代さま」と呼ばれています)とされる平安時代の井伊共保(ともやす)の誕生から始まります。

共保は元旦の朝、井戸の中から発見された不思議な赤子であり、成長して優れた人物となったという話から始まり、戦国時代における井伊家の活躍、大名になった井伊家と龍潭寺との関わりなどが記されているようです。

ちなみに写真は、龍潭寺の井伊家霊屋(たまや)に安置されている井伊共保像です。

『井伊家伝記』には

  • 「次郎法師と名乗る井伊家の姫君がいた」
  • 「次郎法師はいとこの井伊直親と許嫁であった」
  • 「井伊家の男性が死に絶えてしまった後、(龍潭寺の)南渓(なんけい)和尚と井伊直盛の未亡人(つまり次郎法師の母)が相談し、女地頭として次郎法師を擁立した」

という記述もあります。

ちなみにこの時代の「地頭」は「領主」の意味。

つまり次郎法師は「おんな城主」でした。

でも実は、ドラマのストーリーとしてもとても重要なこの要素は、『井伊家伝記』にしか記載されていないのだとか。

戦国時代の井伊家の歴史については、他に僅かな地元の古文書しか残っておらず、信憑性に乏しいという意見もありました。

杉本哲太さんは、実は……

『井伊家伝記』は、龍潭寺など地元に伝わる伝承を元に記されているため、誤りがあったり、井伊家や龍潭寺に有利なように事実を脚色している可能性も充分にあります。

また、亀之丞が井伊谷を逃れたのは9歳の時ですが、この時井伊直盛は19歳!となっているそうです。

でも大河ドラマの杉本哲太さんは、どう見ても19歳には見えません!

昨年の『真田丸』で大泉洋さんと堺雅人さんが、10代の真田信幸&信繁兄弟を演じていたのに驚きましたが、今年の『おんな城主直虎』でも、10代の家康(竹千代)を阿部サダヲさんが演じて話題になっていました。

まさかさりげなく、杉本哲太さんまで10代の設定だったとは。

最近のNHKはかなりのチャレンジャーではないでしょうか。

鍵を握るのは龍潭寺?

もしこれが事実なら

  • 19歳だった(?)井伊直盛には、果たして娘がいたのか。
  • 娘がいたとしても幼女ではないか。
  • そのような幼女が本当に許嫁になったり、自分の意志で出家したりするのか

など、多くの不審な点も出てきます。

でも政略結婚だと正直年齢は関係ないので、一概に否定するわけにもいかないようです。

ものすごく意地悪な発想ですが、「次郎法師が女地頭になったとして、一番得をするのは誰だろう?」と考えてみました。

そうするとまず浮かぶのが、彼女を支えた龍潭寺の南渓和尚。

「次郎法師」の命名も、亀之丞の潜伏先探しも、「井伊直虎」擁立も、虎松の徳川家への仕官も、南渓和尚のアドバイスあればこそという感じなのです。

『おんな城主直虎』で小林薫さんが演じる南渓和尚は、確かに知恵者だけれど万能ではなく、時には無力な存在です。

でも『井伊家伝記』の南渓和尚は、今川家の軍師・太原雪斎並の頼れる知恵者。

『井伊家伝記』の作者である龍潭寺の住職・祖山が、戦国時代の龍潭寺や南渓和尚の活躍(井伊家を救ったと言ってもいい)をアピールするために、何かフィクションの部分を作り上げたかも知れない、と考えるのは邪推でしょうか。

きっかけは、ご初代さまの井戸だった

『井伊家伝記』が書かれたきっかけは、井伊共保誕生の井戸の権益を巡っての、龍潭寺と隣村の正楽寺の対立でした。

彦根藩とその支藩・与板藩の両井伊家を頼って勝訴した祖山は、寺社奉行や井伊家に、龍潭寺の由緒や戦国時代の井伊家の歴史、そしてそこに龍潭寺が関わったという記述を提出していました。

この内容を元に、後に『井伊家伝記』が作成されたようです。

もしご初代さまの井戸を巡る争いがなければ、どうなっていたのでしょう。
次郎法師の物語も、また違ったものになっていたのでしょうか。

次回もこの話題を続けます。

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