予期せぬ観光時間オーバー! 無念のスケジュール変更
龍潭寺から井伊共保誕生の井戸、そして井殿の塚へ立ち寄った私達でしたが、観光客が予想以上に多かったり、また私達の好奇心が旺盛だったこともあり、当初の観光時間を大幅に超えてしまいました。
最初JTBの観光パンフレットーに書いてあったモデルコースは、龍潭寺、竜ケ岩洞、奥山氏ゆかりの方広寺に行くことになっていましたが、時間の関係で竜ケ岩洞と方広寺はあきらめざるを得ませんでした。
私は洞窟が大好きなので、東海地方最大の鍾乳洞であるという竜ケ岩洞にはとても行きたかったので、とても残念でした。
この洞窟には、戦火を逃れた井伊谷の人々はもちろん、もしかしたら徳川軍から逃れて潜伏していた小野政次とその幼い2人の息子も隠れていたかもしれないのです。
井殿の塚からまっすぐ今夜の宿の舘山寺温泉まで行っても良かったのですが、遠鉄タクシーの運転手さんが気を利かせてくれて、別の観光スポットに連れて行ってくれました。
気賀関所跡
それが、浜松市北区細江町にある、気賀(きが)関所跡。

浜名湖北岸を経由して東海道につながる道で、姫街道とも呼ばれた本坂通(ほんさかどおり)が通る気賀の町は、北に山地や丘陵地、南に浜名湖、東は井伊谷川と都田川に挟まれた要害の地であり、交通の要衝としても栄えていました。
タクシーの運転手さんは、ずっと「けが」と発音しておられましたが、『ウィキペディア』によると、古くは「けが」と呼ばれていました。
戦国時代の気賀について、詳しい本を読んだわけではないのですが、江戸時代には関所もでき、町は濠で囲まれ、容易に抜け出せないようになっていたそうです。
交通の要衝だったから、戦国時代にも賑わっていた可能性は大きいです。
もしかしたら、今以上のにぎやかさだったかもしれません。
大河ドラマ館開催期間につき関所入館料無料!
私達が訪れたのは、2016年4月30日で、まだ大河ドラマは放映されていませんでした。
当然、龍雲丸の存在も、気賀が重要な場所になるとも全く予想もつかず、入場料がかかるから、裏側から覗くだけにしましょうと言われ、記念に何枚か写真を撮っただけでした。


裏側から見てもかなり楽しめましたが、ちゃんと入場料を払うと(大人150円なので、ケチらずに入ってもよかったですね)、役人の取り調べの様子などが蝋人形で再現されているようです。

現在は、この近くの浜松市みおつくし文化センターホールが大河ドラマ館となっており、その関係で入場料は無料です。
やはり、大河ドラマの経済効果はすごいですね!
中村与太夫のこと
さて、気賀の商人たちの中で(「かしら」の龍雲丸は別格として)、とても気になっているのが、気賀の元締め・中村与太夫。
失礼ながら初めて聞くお名前で、今まで読んだ直虎関係の本にも出てこなかったように思います。
どうやら史実では商人ではなく、今川家の代官(つまり武士)で浜名湖の水軍も支配していましたが、徳川家の勢力が強まると今川に見切りをつけ、徳川家に仕えたようです。
この後、瀬名姫(築山殿)が気を悪くするような出来事もあるのですが、それはドラマを見てのお楽しみ。
てっきり根っからの商人で、その気になれば明国や琉球・朝鮮・南蛮の国々とも商売をしようという度量の持ち主(そしてとってもシャイな人)かと思っていたのですが、まんまとNHKに一杯食わされました。
でも本田博太郎さんの名演技で、かなり中村与太夫のファンも増えたことでしょう。
昨年の室賀正武や出浦昌相(いでうらまさすけ)のように、大河ドラマのおかげで脚光を浴びる人たちがいるのはなかなかいいことだと思います。
素敵な低音ボイスの中村与太夫さん、龍雲丸の面倒をしっかり見てやってくださいね。
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