秋色北京 憧れの故宮 皇帝一家の生活空間「内廷」と、花より岩が目立った「御花園」

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広大な故宮(紫禁城)で、政治や儀式に使用される公的な空間「外朝」の見学を終えた私達は、いよいよ皇帝一家のプライベートスペースである「内廷」へと進みました。

乾清門

内廷への正門で、3つの入り口があります。

清朝の歴代皇帝は、ここで皇帝が諸大臣の政務報告を受けていました。「御門聴政(ぎょもんちょうせい)」と言います。

扁額には、漢字と満州文字が並んでいました。

外朝の建物の扁額は漢字ばかりでしたが、これは辛亥革命後、1915年に袁世凱が帝政をしいて皇帝になった時、清朝の遺風を除くためにかけ替えさせたそうです。

乾清宮

内廷の中心となる宮殿で、明の時代から清の康熙帝(こうきてい)までは、皇帝が実際にここで就寝していました。

その後の雍正帝(ようせいてい)からは、皇帝の寝所は養心殿に移され、ここでは皇帝が各大臣を引見したり、上奏文を処理する日常的な政務の場所となりました。

皇帝の玉座が安置された上に掲げられた「正大光明」は、清朝第3代の皇帝で、清朝が中国を支配する土台を確固たるものにした順治帝(じゅんちてい)の筆になるもの。

皇位継承が円滑に進むよう、次期皇帝の名前を納めて封をした箱をこの額の下に納め、同じ名前を皇帝も手元に持ち、皇帝の死後これを照合して、皇位継承者を確定したそうです。

交泰殿

皇后の冊立の儀式が行われた場所です。

こじんまりした建物で、皇后は元旦、冬至、千秋(皇后誕生日)の祝賀をここで受けました。

外朝の太和殿と同様、「藻井(そうせい)」と呼ばれる細かな彩色を施した格子天井がありました。

天井の中央には、天命を受けていない者が玉座に座ると頭上に落ち、その者を殺害すると言われている「軒轅鏡(けんえんきょう)」と呼ばれる球体がありました。

外朝の太和殿天井にもあり、皇帝になった袁世凱はこの球体が落下するのが怖くて、玉座をずらして座っていたそうですが、太和殿のあまりの混雑ぶりに撮影ができませんでした(こんな感じだったとは)。

「無為」の扁額は康熙帝の筆になるものですが、皇帝もあちこちに筆跡を残さねばならないので、文字の練習をしっかりしないといけないし、悪筆の私からすれば大変だなと思われました。

玉座の両側に並ぶのは、皇帝の印鑑である玉璽(ぎょくじ)を納めた箱で、古代の周という王朝が25代続いたように、清も25代続くようにと25個の玉璽が納められました。

しかし結局、清は10代で滅亡してしまったのです。

御花園

交泰殿の北にある満州族の神を祀る建物・坤寧宮(こんねいきゅう)の北方・坤寧門をくぐると、庭園に出ました。

「御花園」という名前ですが、庭園の主役は樹木と奇岩。11月のせいか、花は見ることができませんでした。

それでも今まで見てきた建築群よりは、断然緑が多くて癒される空間です。

中国人はもしかすると、緑よりも奇岩の方を好むのではないかなと思ったりもしました。

中国各地から集められた珍しい石の数々が、築山となっています。

特に大きな「堆秀山(たいしゅうざん)」と名づけられた、太湖石(たいこいし)で造られた築山です。

陰暦9月9日の重陽の節句には、山に登って菊花酒を飲む風習があり、皇帝もこの山に登ったのだとか。

残念ながら今は登ることが禁止されていますが、皇帝や皇后、数多の妃たちがきっとこの周囲で優雅な宴を繰り広げていたのでしょう。

養心門と養心殿

雍正帝以下8代の皇帝が、実際に起居した建物です。

今考えたら重要な建物だったかもしれませんが、少々疲れてしまい、個性的な養心門しか写真を撮っていません。

皇帝一家のプライベートスペースというと、どうしても皇后や側室たちの方に関心があるのです。

次回は後宮の女性たち、特に西太后や珍妃にまつわる場所を紹介します。お楽しみに。

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