10年ぶりに篤姫登場!
今から10年前(2008年)、大河ドラマ『篤姫』を面白く見ていました。
篤姫(宮崎あおい)、島津斉彬(高橋英樹)、調所広郷(平幹二朗)、西郷隆盛(小澤征悦)などそうそうたる顔ぶれで、今の『西郷どん』とも重なるキャストが多いです。
昨年の3月、『西郷どん』の舞台を訪ねて鹿児島を訪れましたが、島津家の庭園・仙巌園(せんがんえん)で『篤姫』のポスターや収録の様子を紹介したパネルがありました。
また、宿泊した城山観光ホテルのレストランフロア(1階)で、偶然『天璋院篤姫を讃えた書』(中島永岳氏の書)を目にして、鹿児島での篤姫人気はまだまだ続いているのだなと実感しました。
ちなみに、「薩摩観光維新隊」という「維新のふるさと鹿児島市」をPRするキャラバン隊は、西郷隆盛・大久保利通・篤姫に扮した3名のメンバーで活動しておられます。
『西郷どん』では於一(おいち のちの篤姫)役は北川景子さん。
『週刊西郷どん 語りもす!於一編 思いの強さは負けもはん。於一でございもす!』(『西郷どん』公式サイトより)に、北川景子さんのインタビューが掲載されていますので、そちらも併せてごらんください。
斉彬さまの養女となった於一 ゆかりの地を訪ねて
『西郷どん』第7話は西郷どんの結婚と両親の死が中心でしたが、斉彬さまが、於一を養女にするという展開も、今後のストーリー展開上大切なポイント。
元々彼女は、島津家の分家(今和泉島津家)の姫君。鹿児島市には、今和泉島津家本邸跡の見事な石垣が今も残っています。
今和泉島津家の領地は、今の指宿市。鹿児島市内から列車で約50分走ると、「薩摩今和泉駅」に到着です。訪れた2007年4月29日には、篤姫ゆかりの地を巡るウォークラリーが開催されていました。
風光明媚な海岸や松林を見ながら歩いていくと、少女時代の篤姫(於一)も遊んだ今和泉家の別邸跡です。
今は指宿市立今和泉小学校となっており、篤姫の頃からあっただろう手水鉢や井戸跡が保存されていました。
なお、特別なイベントで開放されているとき以外は、小学校内の見学については問い合わせが必要です。ご注意ください。
島津家は名門!華麗なる歴史と人脈
『西郷どん』第7話で斉彬さまは、於一に江戸で縁談があると持ち掛けます。
『篤姫』をご覧になった方なら、もうよくご存知ですね(相手が堺雅人さんなら私もOK!)。
なぜ彼女は、超セレブな玉の輿に乗れるのでしょうか。
その理由の1つが、島津家が実はものすごい名門だったということ。
島津家は、元々摂関家(近衛家)に仕えていた人物(惟宗(これむね)氏)で、南九州にあった摂関家の荘園・島津荘(薩摩・大隅・日向3国にまたがる日本最大級の荘園)を管理するため、現地に下りました。
その後源頼朝の家臣(御家人)となり、正式に島津荘の地頭に任じられて「島津」家を名乗るようになりました。
氏名と家名の違いについては、こちらのブログ(後半)をご覧くださいね。
鎌倉時代初期から南九州を支配し、戦国乱世の下剋上も乗り切り、秀吉の九州出兵や関ケ原の戦いで敗北しても本領を失うことはない名門でした。
大坂の役(冬の陣・夏の陣)では2回とも戦闘に参加せず、豊臣秀頼や真田幸村・大助父子が薩摩へ落ち延びたという噂が流れたりしています。
江戸時代には将軍家の養女が嫁ぎ、かつての主君である近衛家とも姻戚関係になったりしていました。
11代将軍の御台所(みだいどころ)は島津家出身!
島津斉彬の曽祖父・島津重豪(しげひで)の娘・篤姫は、3歳の時に幕府の命令で、徳川家一門である一橋家の長男豊千代(3歳)と婚約。
その際に名を「茂姫」と改め、鹿児島から江戸城内の一橋邸に移り住みました。
10代将軍徳川家治の嫡男家基の急逝で豊千代が次期将軍と定められた(家斉=いえなりと改名)際、この婚約が問題となりました。将軍家の正室は五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司家)か宮家の姫というのが慣例で、大名の娘、しかも外様大名の姫というのは全く前例がなかったからです。
しかし島津重豪の粘りでこの婚約は解消されず、茂姫を近衛家の養女にして、婚約から13年後に婚儀が行われました。
この結婚により、島津重豪は前代未聞の「将軍の舅である外様大名」となり、後に「高輪下馬将軍」といわれる権勢を築きます。
その分交際費や体面を保つための出費もすさまじく、これが原因となって薩摩藩の財政は悪化し、調所広郷の財政改革につながるわけです。
世継ぎこそ産むことができませんでしたが、初の武家出身の御台所(みだいどころ=将軍の正室)となった茂姫は長命で、一族も大いに繁栄しました。
重豪に可愛がられ、重豪同様に蘭学好きで改革を好む斉彬さまにとって、「将軍の舅である外様大名」というのは大きな魅力があったのです。
於一が「篤姫」と名乗ることになるのは、茂姫にあやかってほしいという斉彬さまの願いがありました。
斉彬さまが、篤姫の結婚に力を入れる本当の理由については、また改めてご紹介しましょう。
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