『西郷どん』西郷隆盛の最初の妻 結婚生活はドラマと史実でこう違う!

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西郷どんの最初の妻は、伊集院須賀

『西郷どん』で印象的だった人物の1人が、橋本愛さん演じる伊集院須賀さん。

ドラマでは須賀さんの父親が御前相撲の場で西郷どんを気に入り、是非にと結婚話をまとめたように思えました。

貧乏藩士の西郷どんの家に嫁に来る須賀さんは、場違いなほど美しく、衣装も布団も立派でした。

味噌も手作りしたことなさそうだし、きれいな衣装を着ているので、家事も女中に任せておける身分だったのかもしれません。

こういうところで「西郷家より格上ですよ」と表現しているのでしょうか。

「愛想がない」「能面みたい」と言われていて、ご本人もそれをとても気にしておられましたが、要するにクールビューティーでツンデレだったのです。

幕末薩摩藩に「クールビューティー」や「ツンデレ」という美意識(価値観)があればよかったですね。

西郷どんの味噌づくりの腕前を姑から聞かされ、そんなに上手なら、結婚後も西郷どんが一家の一年分の味噌をこれまで通り作ればいいと言ったのもとても合理的だし、ジェンダーの意識にとらわれない、自由な発想の人なのだなと思いました。

須賀さんは、江戸に行きたいのに支度金がなくてあきらめようとしている西郷どんのため、敢えて離縁の道を選び、手切れ金の10両を渡してあげるという、隠れた自己犠牲タイプの奥様でした。

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実際はどうだったのでしょうか?

須賀さんの結婚生活は貧乏との闘い

この頃西郷どんはまだ無名で、24歳の西郷隆盛は両親の薦めで、近所に住む藩士・伊集院兼善の娘・須賀と結婚したということしか伝わっていません。

西郷どんの生涯については、簡単にブログで紹介しましたので、よろしければご覧ください。

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西郷家よりも、伊集院家の方が格上であるのは確かなようです。

普通は同じような家柄同士で結婚相手を探すので、この結婚は少々異例なのかもしれません。

この結婚は、西郷どんの一目ぼれではないかという話も、何かで読んだことがあります。

西郷どんみたいな人格者に一目ぼれされたのなら、さぞかし幸せな結婚生活!と普通は思うでしょうが、実は違っていました。

まず、この年の7月に西郷どんの祖父、9月に父、11月に母が相次いで亡くなり、西郷どん1人が一家を支えねばならなくなったのです。

彼の家督相続は許されましたが役職は変わらず、彼と父親の2馬力だったのが1馬力になって西郷家全体の収入は減少したため、元々貧しかった西郷家は更に貧しくなりました。

須賀も同居する5人の弟妹の面倒を見ねばならず、内職もせねばならない多難な結婚生活となったのです。

新妻より斉彬さまに惚れた西郷どん

一方1851年に藩主となった島津斉彬は人材育成に努め、藩士から藩政に対する意見書を募ります。

西郷どんは農政に関する建白書や、お由羅騒動で処罰された藩士達への処分解除を嘆願する意見書などを度々提出。

やがてこれが斉彬の目にとまり、1854(安政元)年、「中御小姓定御供江戸詰」を命ぜられ、斉彬に付き従って江戸に行くこととなったのです。

江戸に行くのに莫大な費用がかかるというのは、ブログでも紹介ましたし、磯田道史さんの『武士の家計簿』でも書かれていました。

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離婚せず(手切れ金を使わず)なんとか江戸行きを果たした西郷どんは(多分借金したのでしょう)、憧れの斉彬さまの手足となり、薩摩藩どころか、日本の運命を左右する大仕事にかかわることに。

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下級藩士の自分に親しく言葉をかけ、期待してくれる斉彬さまに惚れこんた西郷どんは、身命を賭して働きました。

一方故郷の新妻・須賀さんにとっては、頼りになる夫が江戸勤務となり、今までにも増して苦労が絶えない生活となりました。

江戸勤務は何かとお金がかかるので、藩によっては特別手当が出る場合もあり、また西郷どんはその職務の性格上、斉彬さまから湯水のように政治資金を与えられていたと言われます(一橋派有力者や京都の公家との交際費や、篤姫の婚礼自宅に伴う費用など)。

でも西郷どんは、それを家族へ送ることはなかったのでしょう。

手紙もちゃんと書いたのかな? 秘密の仕事も多いだろうから、書けなかったかもしれません。

余りの貧窮ぶりに、須賀さんの父はみかねて彼女を実家の伊集院家に呼び戻し、やがて伊集院家から江戸の西郷どんに相談して正式に離縁となりました。

最初の結婚生活は僅か2年ほどで終わり、西郷どんは「こちらこそ申し訳なかった」と言ったと伝わっているので、かなり後悔したみたい。

須賀さんのその後については伝わっていませんが、伊集院家と西郷どんはその後も交際があったようです。

失敗から学んだ?西郷どんの結婚生活

この話を知ったとき、どこにでもありそうな話だなと思えました。

若いころの西郷どんは、どちらかといえば「意識高い系」。

仕事にはバリバリ燃えるし正義感もあるのだけれど、周囲の迷惑考えずに突っ走り、「暑苦しい」と辟易されるようなところも時々見られました。

その割には身近な人の厚意に甘えていたり、その人の大切さに気付いていなかったり。

なんだかどこかでこんな人見たよな、と思って考えてみたら、長州藩の吉田松陰先生も似たようなタイプでした。

どちらも「人格者」「教育者」「改革者」として、特に地元では、今でも高い人気を誇っています。

ただ、生涯独身を貫いた松陰先生に対し、西郷どんは生涯3度結婚し、1回目こそ失敗したけれど、2回目、3回目の結婚生活は幸せだったのではないかなと思われます。

西郷どんはきっと、1回目の結婚生活の失敗から学ぶところがあったのでしょう。

2回目の結婚生活は島暮らしだったので(嫌でも)家庭重視の生活でしたが、3回目の結婚生活でも、京都や東京生活の合間にこまめに故郷に帰っては、家族との生活を楽しんでいました。

やっぱり仕事ばかりの人生はよくない。仕事と家庭生活のバランスは、今も昔も大切なようです。

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